2024年1月7日(日) マルコ1章4-11節 神の子が私のために死なれた


すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。(マルコ1:11)

 洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えました(4節)。ヨハネは、キリストの到来を預言する使者として、神から遣わされた人でした。彼は自身について、「わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない」と語りました(7節)。自分はキリストに比べるならば、まったく取るに足りない僕だと語ったのです。

 しかし、キリストはそのヨハネから洗礼を受けられました。罪のない神の子が、なぜ罪を悔い改めることのしるしである洗礼を、人から受けるほどに、へりくだられたのでしょうか。洗礼を受けて水から上がられたキリストに、天から神の声が聞こえました。「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と。キリストは神の愛する子でありながら、人の罪を償うために、神の御心にかなう僕となって、限りなくへりくだられたのです。「人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした」(フィリ2章8節)。

 聖霊を豊かに注がれたキリストから、私たちに聖霊が注がれるとき、キリストの十字架の死による罪の赦しが私自身のためであったことを、「アーメン」と受け入れ、信じることができるようになるのです。

 【祈り】 神よ、キリストからの聖霊によって罪の赦しを確信させてください。