BOX190 2004年1月21日放送     BOX190宛のメールはこちらのフォームから送信ください

山下 正雄 (ラジオ牧師)

山下 正雄 (ラジオ牧師)

タイトル: 「福音書の順番は?」  ハンドルネームAmazonさん

 いかがお過ごしでいらっしゃいますか。キリスト改革派教会提供あすへの窓。水曜日のこの時間はBOX190、ラジオをお聴きのあなたから寄せられたご質問にお答えするコーナーです。お相手はキリスト改革派教会牧師の山下正雄です。どうぞよろしくお願いします。

 それでは早速きょうのご質問を取り上げたいと思います。今週はハンドルネーム・りっちゃんさん、女性の方からのご質問です。お便りをご紹介します。

 「山下先生、今晩は。
 新約聖書の四つの福音について質問します。マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネの順番は、新約聖書が最初に書かれた時から決まってたのですか? 新約聖書を最初のページから読もうとすると、いつも系図でつっかえてしまいます。頭は混乱する・挫折する・系図を飛ばして読む・・・辛く感じるのですが。
 又、マタイ・マルコ・ルカの3つを共観福音書と言うそうですが、それはどうしてですか? いつも変な質問ばかりですが宜しくお願いします。」

 ということなんですが、りっちゃんさん、いつもたくさんの質問ありがとうございます。今回は新約聖書にある4つの福音書に関する問題ですね。「変な質問ばかり」とありましたが、どれもこれも新約学という、新約聖書にかかわる学問の中で取り上げられる、立派な問題です。学問的な用語で言えば、新約正典学にかかわる疑問、共観福音書問題にかかわる疑問ということになると思います。こう表現すると随分難しい問題のように聞こえますね。
 2つの質問があったと思いますが、どちらも相互に関係している質問だと思います。
 まず、4つの福音書の順番についてですが、りっちゃんさんは「新約聖書が最初に書かれた時から決まってたのですか」とご質問くださいました。実は、この問いの立て方自体、大きな問題を含んでいます。
 普通、一冊の本があるとすると、その本は1ページ目から順番に書かれたものと考えるものです。もちろん、前書きや目次は全部が完成してから書いたり作ったりするものですから、それは別です。その部分を別とすれば、普通は最初の章から最後の章に向かって書いていくものです。もし、新約聖書がそんな風にして書かれたのだとすれば、紛れもなくマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの順番に書かれていったと考えるのは自然なことです。
 しかし、文集などのように、いくつもの文書が一つにまとまって出来上がるような書物の場合、必ずしも文集の最初の文が最初に出来上がったとは限りません。ひょっとしたら締切り間際に書かれたものかもしれません。
 それと同じように、新約聖書の4つの福音書は、1人の著者が書いたというわけではありませんから、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの順番に書き上げていったというものではありません。それぞれ独立した著者が、独立した時期に書き上げたものです。
 新約聖書が全部で27巻と定まったのは、少なくとも27全部の書物が出揃ってからのことですから、実際にそれぞれの福音書が記されてから、随分時間の経ってからのことになります。
 では、4つの福音書がどんな順番で書かれたのか、それを研究するのが、次の質問の共観福音書の研究になります。

==放送では、ここで1曲==

 さて、4つの福音書はどういう順番で書かれたのかということは、新約聖書を扱う新約学という学問では古くから研究の対象でした。4つの福音書のうち、ヨハネ福音書が他の3つ福音書と比べて、比較的後に出来上がったということは新約学の学者たちの間でも一致しています。ですから、ヨハネ福音書が4つの福音書の中では一番遅く出来上がった福音書です。遅いといっても、現存するヨハネ福音書のパピルスの年代から推定して1世紀末には存在していました。
 問題はマタイ・マルコ・ルカ福音書の順番です。これらの福音書は、伝統的な理解では、この順番に書かれたと信じられていました。しかし、この3つの福音書には共通した話が多く、それがために、この3つの福音書は共に観る福音書、共観福音書と呼ばれるようになりました。そして、この共観福音書がお互いにどんな関係にあるのか、それを研究する学問が進みました。それが共観福音書問題です。
 この3つの福音書の記事を詳しく分析していくと、マルコ・マタイ・ルカに共通したものと、マタイとルカだけに共通したもの、さらにはマタイ独自のもの、ルカ独自のものから成り立っている事がわかりました。これを共観福音書が4つの資料から成り立っていると考えることから、4資料説と呼ぶようになりました。これらをさらに詳しく分析して、お互いの記事の依存関係を考えていくと、マルコ福音書が最初に書かれたと仮定しないと、他の福音書の記事の依存関係をうまく説明できないということがわかりました。詳しいことをここで説明するととても時間が足りませんので、省略します。これがいわゆるマルコ優先説と呼ばれるものです。今日の新約学では、このマルコ優先説、つまり、マルコ福音書が最初に書かれたとすることが通説となっています。もちろん、それに反対して、伝統的な理解に従って、マタイ福音書が最初に書かれたとする学者がいないわけではありません。
 ということで、18世紀から20世紀にかけて議論された結果、共観福音書問題から発展して、マルコ福音書が最初に書かれた福音書であるという結論に至ったのが今日の学問的な成果ということです。

 ところで、りっちゃんさんは、冒頭に置かれている系図のために随分と苦労をしていらっしゃるようですが、福音書の成立順番ということから言えば、何もマタイ福音書を最初に読まなければいけないということではありません。
 私自身は、マルコ福音書を最初にお読みすることをお薦めしています。それは一番最初に成立した福音書であるからという理由ばかりではなく、一番短くて概略を掴みやすいという理由からもそうです。
 マタイ福音書はしばしばユダヤ人向けの福音書だといわれますが、冒頭の系図は正にそのとおりだと思います。この系図も旧約聖書に慣れ親しんでくれば、とても興味深いものとして受け止めることができるようになると思います。
 ですから、どうぞ気長に聖書と付き合って、その深みまでも味わっていただきたいと思います。

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