キリストへの時間 2004年9月12日放送    キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

山下 正雄(ラジオ牧師)

山下 正雄(ラジオ牧師)

メッセージ: 人の悪と神の善

 おはようございます。山下正雄です。

 旧約聖書のお話の中には、生身の人間が登場します。人を妬んだり、憎んだり、恨んだりする生身の人間です。聖書は人間の醜い姿を決して覆い隠したりはしません。ありのままの姿を、まるで鏡に映したように描きます。そうであればこそ、聖書は今も読み手の身近に迫ってきます。

 さて、旧約聖書創世記には、イスラエル民族のもととなるヤコブに生まれた12人の息子たちの話が出てきます。この兄弟たちは同じ父親から生まれたとは言え、一人一人に違った個性が与えられています。もしも、12通りの個性が見事に調和できれば、これほどバラエティーに富んで、しかも力強く結ばれた一族はなかったことでしょう。ところが、人間とはつまらないことで分裂し、つまらないことで結束するものなのです。
 ヤコブの11番目の息子ヨセフをめぐって、兄たちとヨセフとの間に修復しがたい亀裂が生じました。もとはといえば、父親のヤコブがヨセフを溺愛し、他の兄弟にまさってヨセフを特別扱いにしたことが原因かもしれません。またそれは、ヨセフが見た不思議な夢のせいで、兄たちの怒りが頂点に達したということも一因です。

 ある日のこと、野で羊の世話をしている兄たちのもとへヨセフがやってきます。家から遠く離れた場所で、自分たち以外には誰もいません。
 ヨセフを痛い目に合わせる絶好のチャンスとばかり、兄たちは相談し始めます。殺して穴に投げ込んでしまおうと言うのです。口裏を合わせて野獣にでも襲われたことにすれば、誰も自分たちがヨセフを殺したなどと疑うはずもありません。不思議とこういう悪い相談はすぐに話がまとまるものです。なんと悪事に聡く、ひどい兄弟だと思われることでしょう。しかし、裏を返せばこの兄弟たちは今までどれほどヨセフのことで心を傷つけられてきたかという証拠でもあります。もちろん、それだからといって自分たちがしようとしている悪事を正当化できるものではありません。
 もっとも、長男のルベンは、長男としての責任感もあったのでしょう。生意気なヨセフを懲らしめることには賛成でも、殺してしまうことには反対でした。ただ、穴にだけ投げ込んで、後で助け出そうと考えたのです。
 穴にヨセフを投げ込んだ後、兄たちは食事を始めたと聖書にはあります。日ごろの鬱憤を晴らして、さぞかし食が進んだのでしょうか。それとも、自分たちのした悪事に良心の痛みを感じて、鉛を食べるような重苦しい食事だったのでしょうか。
 と、そこへイシュマエル人のキャラバン隊が通りかかルのが見えました。四男のユダはひらめき、ヨセフを売り飛ばそうと提案します。ところが、そうこうしているうちに別のキャラバン隊がやって来て、ヨセフを引き上げて例のイシュマエルのキャラバン隊に売り飛ばしてしまったのです。
 兄たちはすべては自分たちのコントロールの下にことが進んでいると思っていました。しかし、突如としてヨセフは自分たちの手から離れていってしまったのです。後悔してもしきれません。

 一体、何故神はこんなことをお許しになったのでしょうか。この時点では誰も納得行く答えを出せる人はいません。しかし、それから何年もたってヨセフは兄弟たちに言います。
 「あなたがたはわたしに悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださったのです」
 実に神は人間の悪をも善に変える力をお持ちなのです。

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