聖書を開こう 2004年6月3日(木)放送    聖書を開こう宛のメールはこちらのフォームから送信ください

山下 正雄(ラジオ牧師)

山下 正雄(ラジオ牧師)

メッセージ: あなた方の使者エパフドディト(フィリピ2:25-30)

 ご機嫌いかがですか。キリスト改革派教会提供あすへの窓。「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいたいと思います。木曜日のこの時間は、キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。

 パウロの書簡を読んでいて興味を覚えるのは、具体的な人名が出て来る個所です。その人物についての記述に触れるとき、初代教会の時代を生き抜いたクリスチャンに出会ったような気がします。もちろん、パウロやペトロや、先週学んだテモテのように、有名な人物のことは言うまでもありません。しかし、きょう取り上げようとしているエパフロディトのように、ほかではお目にかかれない人物に出会うとき、初代教会を支えたクリスチャンに出会ったような思いにいっそうなると同時に、名前すら記されていない多くのクリスチャンたちの隠れた働きのことを想像してしまいます。きっとそうしたほとんど無名のクリスチャンたちの働きがあってこそ、大伝道者パウロも大きな働きをなすことが出来たのではないかと思います。

 それでは早速今日の聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書フィリピの信徒への手紙 2章25節から30節です。新共同訳聖書でお読みいたします。

 「ところでわたしは、エパフロディトをそちらに帰さねばならないと考えています。彼はわたしの兄弟、協力者、戦友であり、また、あなたがたの使者として、わたしの窮乏のとき奉仕者となってくれましたが、しきりにあなたがた一同と会いたがっており、自分の病気があなたがたに知られたことを心苦しく思っているからです。実際、彼はひん死の重病にかかりましたが、神は彼を憐れんでくださいました。彼だけでなく、わたしをも憐れんで、悲しみを重ねずに済むようにしてくださいました。そういうわけで、大急ぎで彼を送ります。あなたがたは再会を喜ぶでしょうし、わたしも悲しみが和らぐでしょう。だから、主に結ばれている者として大いに歓迎してください。そして、彼のような人々を敬いなさい。わたしに奉仕することであなたがたのできない分を果たそうと、彼はキリストの業に命をかけ、死ぬほどの目に遭ったのです。」

 きょう取り上げた個所は、エパフロディトについて記されている個所です。この人物が何者なのかは、このフィリピの信徒への手紙以外のところには名前が挙がっていませんから、まったく知ることが出来ません。この手紙の中では、きょう取り上げた個所の他に、4章18節にもう一度名前が出てきます。そこには「そちらからの贈り物をエパフロディトから受け取って満ち足りています」と記されていますから、このエパフロディトはフィリピ教会から託された援助物資を携えて、パウロに届けた人物に間違いありません。

 このエパフロディトについてパウロは「彼はわたしの兄弟、協力者、戦友であり、また、あなたがたの使者として、わたしの窮乏のとき奉仕者となってくれた」と記しています。「兄弟、協力者、戦友、使者、窮乏のとき奉仕者」…この何重にもわたる呼び方は、どれほどパウロがこのエパフロディトを重んじ、敬愛していたかということをうかがわせます。しかし、パウロがこのように色々な呼び方でエパフロディトのことを呼んでいるのには、もう少し深いわけがありました。先ほども引用した4章の18節から明らかなように、エパフロディトはフィリピの教会員たちが集めた贈り物を携えてはるばるパウロのもとへやってきた人物です。これだけのものを託されたわけですから、それほどフィリピの教会の中でも人望の厚い信頼の置ける人物だったに違いありません。

 ところが、このエパフロディト、パウロのところへ来ている間に病気になってしまったのです。しかも、瀕死の重病にかかったと記されています。もっともこの手紙をパウロが書いている今は、その重病からも癒されて、フィリピに再び戻れるように健康を回復したようです。
 しかし、元気になったとはいえ、エパフロディトには気がかりなことがありました。それは自分の病気のことが自分を遣わしたフィリピの教会に知れてしまったと言うことです。パウロを元気付けるためにフィリピの教会から遣わされたエパフロディトが、パウロのところで死ぬほどの病気になって、パウロをハラハラさせてしまったのですから、その病気の噂がどんな風に自分を遣わした教会に伝わっているのか、エパフロディトは心苦しくて仕方がなかったのです。

 そんなエパフロディトをフィリピの教会に送り返すに当たって、パウロはエパフロディトのことを「主に結ばれている者として大いに歓迎してください。そして、彼のような人々を敬いなさい」とフィリピの教会の人たちに呼びかけています。
 この勧めの言葉とあいまって、パウロはエパフロディトのことを「兄弟、協力者、戦友、使者、窮乏のとき奉仕者」と、おおよそ思いつく限り尊敬の気持ちを表す呼び方で何重にもわたって表現したのでしょう。それは、エパフロディトが死ぬほどの病気をして、獄中にあるパウロにさらなる心配をかけたなどと、だれもエパフロディトのことを悪く思わないようにとの、パウロの配慮から出た言葉に違いありません。
 さらに、パウロはこのエパフロディトのことを「わたしに奉仕することであなたがたのできない分を果たそうと、彼はキリストの業に命をかけ、死ぬほどの目に遭ったのです」と記しています。
 つまり、パウロはこのエパフロディトがただ単にフィリピの教会から遣わされた者に過ぎないどころか、それ以上の者、つまり、フィリピ教会を代表し、フィリピ教会の人が直接できない分を代表して果たしてくれた者であるというのです。

 ここにはパウロが教会というものの働きをどう考えているかが表れています。パウロはエパフロディトが自分にフィリピの教会からの贈り物を携えてやってきたことを、教会全体の働きとして受け止めているということです。実際にパウロのところまでやってきたのは、エパフロディトです。しかし、このエパフロディトの働きを通して、フィリピの教会全体が豊かに働いているのです。
 そして、このことは、エパフロディトの苦しみについても言えることです。フィリピの教会の人々はエパフロディトの働きを通して福音の働きに与り、その恵を何倍にも感じることができました。それと同じように、エパフロディトの苦しみについては、その苦しみ分かち合って、何分の一、何十分の一に軽減しなくてはならないのです。
 今パウロは、病から回復してフィリピに戻るエパフロディトをフィリピの教会の人たちが心から歓迎することによって、瀕死の病になることでエパフロディトが感じていた心苦しさが少しでも軽減されることを願っているのです。

 このように役割を分かち合い、お互いにその働きを担い合うことによってこそ、神の国が豊かに進展して行くことを覚えたいと思います。

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