聖書を開こう 2004年8月12日(木)放送    聖書を開こう宛のメールはこちらのフォームから送信ください

山下 正雄(ラジオ牧師)

山下 正雄(ラジオ牧師)

メッセージ: 主の恵みがあるように(フィリピ4:21-22)

 ご機嫌いかがですか。キリスト改革派教会提供あすへの窓。「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいたいと思います。木曜日のこの時間は、キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。

 フィリピの信徒への手紙の学びもきょうで最後になります。今年の3月25日からきょうを含めて21回にわたって学んで来たことになります。同じ聖書に収められた文書でも、使徒言行録のように後になってからまとめられた教会の歴史書とは違い、パウロの手紙は具体的な問題に直面する教会に対して、時を移さずその場で教会の必要に対して書いている点で、その当時の教会の様子をとても生々しく感じ取ることが出来ます。パウロが取り上げた事柄は、そのほとんどがその時代のその地域の教会の問題であったかもしれません。しかし、それらは現代を生きるわたしたちにも、時代を超えて語りかけてくるもの、考えさせられるところの大きいものがあります。また、そうでなければ、古い時代の文書に向う意味はほとんどないでしょう。
 さて、きょうはフィリピの信徒への手紙の結びの言葉から共に学びたいと思います。

 それでは早速今日の聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書フィリピの信徒への手紙 4章21節22節です。新共同訳聖書でお読みいたします。

 「キリスト・イエスに結ばれているすべての聖なる者たちに、よろしく伝えてください。わたしと一緒にいる兄弟たちも、あなたがたによろしくと言っています。すべての聖なる者たちから、特に皇帝の家の人たちからよろしくとのことです。主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊と共にあるように。」

 パウロが教会に宛てて書いた手紙のほとんどには、末尾に挨拶の言葉と祝福の言葉が記されます。手紙なのですから、何らかの結びの言葉があるのは当然かもしれません。どの世界の手紙にもその国、その文化の手紙の結び方があります。古代ギリシャの手紙では簡単な別れの挨拶や幸福を願う言葉で結ばれました。使徒言行録の15章には使徒たちが集まって、クリスチャンになった異邦人たちのことで会議がもたれましたが、その会議の決定を知らせる手紙の結びの言葉は、「健康を祈ります」(15:29)という、まさに当時のギリシャ世界の手紙の結びの言葉でした。
 こうしたギリシャ一般世界の手紙の結びに比べると、パウロの手紙の結び方は独特です。もちろん、すべてのパウロの手紙が同じ結びの言葉で結ばれているかというと、そうではありません。しかし、少なくとも「健康を祈ります」という一言よりも長い結びの言葉をもっています。

 フィリピの教会に宛てた手紙の結びには、まず、すべての聖なる者たちに対してよろしく伝えて欲しいとの言葉が述べられます。「キリスト・イエスに結ばれているすべての聖なる者たち」という表現は、この手紙の冒頭部分にも、手紙の宛先人として登場して来ました。それは特別な人たちをさして「聖なる者たち」といったのではなく、クリスチャンをさして「聖なる者たち」と呼んでいるのでしょう。手紙の冒頭部分では「フィリピにいて、キリスト・イエスに結ばれているすべての聖なる者たち」と手紙の受取人のことが表現されていましたから、そこでの「すべての聖なる者たち」とは、要するにフィリピの教会員と言うことができると思います。結びの言葉に出てくる「すべての聖なる者たち」も、特に「フィリピにいて」とは限定されませんが、冒頭部分と同じように、フィリピの教会員と考えてよいでしょう。この場合は、「すべての聖なる者たちに、よろしく伝えてください」という言葉は、この手紙を最初に受け取って読んだであろうフィリピの教会の「監督」(1:1)に対して、フィリピの教会員たちによろしく伝えて欲しいと願っているのでしょう。あるいは、そうではなく、この言葉は何かの機会に他の町に住むクリスチャンたちにもパウロの近況をフィリピの教会員たちが伝えることを期待してるのかも知れません。いずれにしても、パウロは自分のことを祈りに覚え支えてくれている人たちのことを念頭に、この手紙を読んだ人が回りのクリスチャンにパウロの様子を伝えることを期待しています。このように、パウロはクリスチャンの共同体の交わりをいつも意識していたのです。
 この挨拶の言葉に続いて、パウロはパウロと共にいる兄弟たちからの挨拶の言葉も伝えます。具体的にどんな人たちがいたのかは名前を挙げてはいませんが、次の22節に出てくる「すべての聖なる者たち」とは区別される特別な人たち、おそらくは、パウロと伝道旅行を共にしているパウロの同労者たちではないかと思われます。もちろん、この手紙の差出人はパウロのほかにテモテの名前も挙がっていますから、テモテもこの兄弟たちに含まれているのでしょう。パウロは共にいる兄弟たちからの挨拶を伝え、ここでもクリスチャンの共同体の交わりを強く意識しています。
 そして、さらに「すべての聖なる者たちから、特に皇帝の家の人たちから」の挨拶を伝えます。「すべての聖徒たち」が具体的にどの教会の人々をさすのかは、この手紙の執筆場所がどこなのかによりますが、古くからある理解によれば、次の「皇帝の家の人たち」とあいまって、ローマの教会の人々と言うことになります。もっとも、「皇帝の家の人たち」を文字通りの意味ではなく、皇帝に仕える人々や行政官も含めて考えるとすれば、すべての聖徒たちとはローマの教会に限る必要はありません。ただ、ここで注意を引くことは、執筆の場所がローマかそうでないのかと言う問題ではなく、「皇帝の家の人たち」が具体的に誰をさすのであれ、その中に教会への挨拶を述べるようなクリスチャンがいたという事実です。獄中にあるパウロのことを心配するフィリピの教会員たちにとっては、「皇帝の家の人たち」からの挨拶の言葉はどれほど安心と励ましの材料となったことでしょうか。

 さて、パウロはいよいよ手紙をとじるに当たって、祝祷の言葉を述べて手紙を結びます。

「主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊と共にあるように」

 最後の結びの言葉はパウロの手紙ごとに多少の言い回しの違いはありますが、いずれも神の祝福を願う言葉で結ばれます。今日でも、礼拝の最後の祝祷の言葉は「キリストの恵み」が共にあることを願う言葉が用いられています。クリスチャンにとっては、人生のどこにあってもいつもこのキリストの恵みが伴うことが祝福なのです。
 このフィリピの信徒への手紙を今までご一緒に学んでこられたお一人お一人と共に、主イエス・キリストの恵みがいつも共にありますようにお祈りします。

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