BOX190 2005年8月3日放送     BOX190宛のメールはこちらのフォームから送信ください

山下 正雄 (ラジオ牧師)

山下 正雄 (ラジオ牧師)

タイトル: 「わたしって逃げてるの?」 ハンドルネーム 麦子さん

 いかがお過ごしでいらっしゃいますか。キリスト改革派教会提供あすへの窓。水曜日のこの時間はBOX190、ラジオを聴いてくださるあなたから寄せられたご質問にお答えするコーナーです。お相手はキリスト改革派教会牧師の山下正雄です。どうぞよろしくお願いします。

 それでは早速きょうのご質問を取り上げたいと思います。今週はハンドルネーム麦子さん、女性の方からのご質問です。お便りをご紹介します。

 「こんにちは。初めてメールします。

 わたしはクリスチャンホームに生まれ、小さい時からずっと教会に通っています。夏のキャンプや修養会で知り合った同じ教派の友達もたくさんいます。学校での友達とは違って、本当に何でも話せるので、ずっと一緒にいても疲れません。それはクリスチャンの家庭に育ったっていう共通点があるからかもしれませんが、小さい時からの友達だったということもあります。

 しかし、そんな友達とも、高校に行くようになってからは、ぱったり会わなくなってしまいました。それはわたしがキャンプなどに参加しなくなってしまったからです。

 中学の頃、キャンプに参加して女の子同士で夜中に話をしていると、好きな男の子の話が出てくるんです。自分で言うのも変ですけど、そういう年頃なんです。そういう話に夢中になってる自分がちょっぴり大人になったような感じで、そういう話ってわたしは好きでした。

 でも、あるとき、同じキャンプに参加しているB君のことを幼なじみのAちゃんも好きなんだってことを知ってしまったんです。わたしの気持ちはまだ誰にも言っていなかったので、Aちゃんの話を頷きながら聞いていました。なんかすごく複雑な気持ちでした。Aちゃんの話を聞いてしまったら、わたしの気持ちはもう言えないし、もし、わたしの方が先に話していたら、きっとAちゃんが苦しい気持ちでわたしの話を聞くことになったでしょうね。そのときB君の気持ちはわかりませんでしたけど、Aちゃんとの友情を壊してまで、わたしがB君のことを好きになってはいけないと思いました。

 そんなことがあってから、何となくみんなからも距離をおくようになって、最近では教会のキャンプや集会にもほとんど参加しなくなってしまいました。こういうわたしって、逃げてるだけなんでしょうか。先生はどう思いますか?」

 麦子さん、お便りありがとうございました。メールを読んでいて、麦子さんの考えや感じ方が、とても大人っぽく感じられました。そんな風に気を回すことができる高校生がいることに先ずとても驚きました。わたしにも高校生の娘がいますが、果たして麦子さんのようにそこまで友達のことを思い遣る心の余裕があるかどうかと思いました。

 一般的に言って、この年齢の恋愛は熱しやすく冷めやすいものなのかもしれません。あるいはよく言われることですが、恋に恋する年頃なのかもしれません。しかし、その中で色々なことを学び、人間として成長していくのですから、中高生の恋愛を「恋愛ごっこ」にすぎないなどと過小評価するつもりはまったくありません。まして、そんなことで悩んでいる暇があったら、学生らしく勉強にでも打ち込みなさいなどと月並みなお小言を言うつもりもありません。むしろ、麦子さんの場合、こういう経験を通して、人間として一回りも二回り豊かになっているように感じました。

 さて、そういう今のご自分のことを「逃げてるだけなんでしょうか」と疑問に感じられているようです。もちろん、麦子さんの中では、「逃げているだけではないか」と言う思いと「いや、そうではない」という思いが錯綜しているのでしょうね。その答えは、残念ながら、麦子さんご自身が結論付けて一歩踏み出すしかありません。他の人がどう結論するかではなく、麦子さんがどう思うのか、また、これからどういう歩みをしていくのか、そのことを大切に考えて欲しいと思います。そのためのヒントにでもなればと思い、メールを取り上げさせていただきました。

 まず、AちゃんとB君を巡る関係のことですが、こういうのを世の中では三角関係といいますね。もっとも、B君の気持ちがAちゃんでも麦子さんでもなく、別の人に向いている可能性もあったかもしれません。そうなれば、もっと複雑なことになっていたかもしれないですし、逆にそうであればAちゃんも麦子さんもあっさり諦めたかもしれません。仮にB君がAちゃんのことを好きだったとしたら、相思相愛の仲に割り込んで入ってしまう麦子さんの恋愛は、色々な意味で苦しい恋になってしまったことでしょう。そう思うと、麦子さんの選択は良かったのかもしれません。また逆にB君も麦子さんに好意を寄せていたとすれば、確かに相思相愛でB君とうまくいっていたかもしれません。しかし、友達思いの麦子さんはAちゃんに惨めな思いをさせたくないでしょうから、自分から身をひいたその選択は麦子さんにとってやっぱり正しかったのです。いずれにしても、過去にさかのぼってやり直すことはできませんから、Aちゃんとの友情をB君との恋愛よりも大切と考えた麦子さんの判断を、肯定的に受け止めるよりほかありません。わたしとしては幼なじみのAちゃんのことを考えることができた麦子さんのことをとても素晴らしいことと思います。

 しかし、もっと大切なのはこれからのことです。こういう苦しい経験をすれば、誰しも同じことを繰り返したくないと思うのが自然です。その気持ちは良く分かります。特に麦子さんの場合は、誰かを傷つけたり苦しめたりしてまで恋愛に走るタイプの女性ではないようですから、余計に自分から身をひいていってしまうのでしょう。

 けれども、そうすることによって、生涯のよき伴侶とめぐり合う機会を自分で奪ってしまってもよいのでしょうか。確かに、誰が神の御心に適った相手であるのかは、最初からわかるものではありません。最初から分かっていれば、誰をも傷つけず、自分も苦しまずに素敵な恋に落ちることもできることでしょう。しかし、そのことは誰も最初から知ることはできないのです。これからもまた同じように三角関係に苦しむこともあるかもしれません。しかし、その苦しみや辛さを通して、そこに関わったすべての人が成長し、ほんとうに人を愛することを学ぶ機会となるのです。いえ、そうあることを信じて今よりも一歩、前に進むことができたら、どんなに素晴らしいことだろうかと思います。

 麦子さんはご自分では気がついていないかもしれませんが、今回のことを通して同世代の人たちより、ずっと大きく成長していると思います。そして、そういう麦子さんのことを心から好きになってくれる男性が備えられていることを信じてやみません。

 恋愛からたくさんのことを学んで、より豊かな人間となることができますようにと、お祈りします。

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