キリストへの時間 2005年3月20日放送    キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

久保浩文(高知教会牧師)

久保浩文(高知教会牧師)

メッセージ: 「人生の危機管理」

 最近は、ドーナツ現象で、町の中心部から離れた所に住居を構える人が多くなりました。

 私も、教会員を訪ねるために車を走らせていますと、途中に造成中の新興住宅地があります。広大な敷地の中で、新築の住宅がポツポツと建てられています。どの住宅も最近の流行なのでしょうか、壁面はカラフルな色が使われ、建築様式も、外観はイギリス風であったり、フランス窓が取り付けてあったりと、ハイカラな造りがなされています。私もつい、通りすがりに「いい庭だな」とか「こんな家に住んでみたいな」とか思いつつハンドルを握っています。

 しかし、いくら見栄えが良くても、果してどれだけの家が、予想もしない時に突如襲ってくる地震災害や大雨による浸水、土砂災害に遭遇しても耐えることが出来るでしょうか。

 聖書には、こういった災害のことを予想して、それに備えて家を建てた人と、災害のことなど初めから全く念頭に置かないで家を建てた人のたとえが出てきます。

 外観は同じでも、災害に備えて家を建てた人は、岩の上に土台を置いて家を建てました。

 ただ岩の上といっても、この土台とすべき岩は、地面にあったのではありません。この人は、土台とすべき岩を見つけるまで、「地面を深く掘り下げ」て、それから土台を置いています。ですから、洪水になって川の水が家に押し寄せても、押し流されることはなかったのです。

 一方、災害のことは考えないで、土台なしで地面にそのまま家を建てた人は、同じような洪水が出て川の水が押し寄せると、家はたちまち倒れてしまい、跡形もなく、見るも無残な姿になってしまったのです。

 私達の人生の家は大丈夫でしょうか。いくら外見が立派な豪邸であっても、つまり、優雅で何不自由のない人生を送ってはいても、一度何か大きな人生の危機、試練に遭遇した時に、押しつぶされてしまったのではいけません。私達の人生の途上で経験するであろう様々な試練、艱難に遭遇した時の人生の違いは、しっかりとした土台のある家とそうでない家との違いなのです。自分の人生を悔いのない有意義な人生とするために、しっかりとした土台を見つけようとしたかどうか、あるいは外見ばかり気にする安易な生き方をしてきたかどうかです。さらには、人生の危機管理を考えて人生を築いてきたかどうか、です。

 私達の人生に危機はつきものです。突然、病気になったり、不幸な出来事に見舞われたりします。ですから、それに備えて確かな保障、土台が必要なのです。

 では、私達は、人生の土台として何を据えるべきでしょうか。この世の様々な貯蓄、保険に頼っても、完全なものではありません。それらは生活のなにがしかの助けにはなるでしょうが、生きる目標を失ったり、気力をなくしたりといったときに私達の生き方そのものを支えるものとはならないのです。私達は人生の危機管理として、本当にしっかりとした堅固な土台の上に自分の人生を建てあげなくてはいけません。聖書は、人生の土台はイエス・キリストであり、イエスの言葉に聞き従う生活を送ることが揺るぎない人生を送る秘訣だと教えています。イエス・キリストを私達の救い主と信じ、キリストの言葉を神の言葉として聞き、信じて生活の中でそれを守り行うことです。そうすれば、私達の人生は、見かけ倒しに終わることなく、悔いのない充実した人生を送ることができるのです。

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