キリストへの時間 2008年4月13日(日)放送    キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

泥谷ちひろ(山田教会会員)

泥谷ちひろ(山田教会会員)

メッセージ: まさかに備えて

 おはようございます。いかがお過ごしでいらっしゃいますか。山田教会の泥谷ちひろです。

 人生には三つの坂があるということをお聞きになった事があると思います。若くて盛んなとき、どれほど働いてもつかれず、いろいろな事がうまくいく上り坂、また年を重ね頑張りがきかなくなったときとか、何もかもがうまくいかない下り坂、もう一つはすべて順風満帆のときにまさかということが起こるま坂です。
 このまさかが起こった時は、誰もが頭が真っ白になって茫然としてしまいます。そんなときのためには、冷静になること、神の御言葉の貯えがあること、もちろん神様が今共にいてくださるのだということを信じて信頼して祈ることが必要です。
 小さな子供はどんなに怖いことがあってもお母さんを見つけ、抱きしめてもらうと一度に泣き止み、安心します。私達は頭が真っ白になってしまうようなことがおこっても、幼子のような信仰があるなら、母親に抱きしめられた子供のようにイエス様のもとですっかり安心できると思うのです。  大人になった今、神様がこの試練を通して何をなさろうとするのかを冷静に判断し待つことが必要だと思います。神様は共にいるという約束を聖書のあちこちに記しておられます。

 少し例をあげてみますと、出エジプト記3:12ではモーセがイスラエルの民をエジプトから導き出すために、皇帝ファラオの許に遣わされようとした時、おずおずしていたモーセに神はこう言われました。「わたしは必ずあなたと共にいる」と。
 また、イザヤ書41:13では、「恐れるな。わたしはあなたを助ける」と言われています。
 創世記28:15ではヤコブの夢の中で「あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る」と記されています。
 また、ヨハネによる福音書14:18では「あなたがたを捨てて孤児とはしない」と言っておられます。この言葉は、私が父を亡くし、母を亡くした後で身近に感じた御言葉でした。

 私は20歳過ぎだったころ、神戸の貿易会社に勤務していましたが、勤務が終わってから同僚と付き合っているとき、私にはどうしても無駄な時間だと思えて仕方が無かったときに、モットーとしていた御言葉がありました。テモテへの第二の手紙の2:22です。
 それは、「若いころの欲情から遠ざかり、清い心で主を呼び求める人々と共に、正義と信仰と愛と平和を追い求めなさい」でした。

 聖書に、「あなたの若い日にあなたの造り主を覚えよ」という御言葉があります。
 本当に、若い時に創造主を知り、全く安心して自分自身をお任せできたらどんなに素晴らしいことでしょう。
 皆様の上に神様の恵みがありますように。

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