熊田なみ子のほほえみトーク 2009年10月20日(火)放送

熊田 なみ子(スタッフ)

熊田 なみ子(スタッフ)

賛美の喜び

 「人はなぜ歌うのだろうか?」と考えたことがあります。メロディ、リズム、ハーモニー、音楽のない世界なんて考えられません。母の胸で安らかに子守唄を聞きながら眠る幼子を思うと、人間の誕生から終わりまで、私たちの人生にはいつも歌があります。喜びのときも悲しみの時も。賛美歌、それはあなたと私の人生の応援歌ですね。私もそうでしたが、初めて教会に行って賛美歌を聞いたり歌ったりした時、聖書のお話はよくわからなくても何か心に響くものを感じます。礼拝の中で皆が心を合わせて主を賛美する姿に感動しますね。思わず涙が溢れてきて…という方もありました。

 「ハレルヤ」という言葉があります。ヘンデルのメサイヤの合唱「ハレルヤコーラス」は誰もが知っている歌になりましたね。この言葉は、日本語で耳にすると、「空が晴れるや」のように感じてしまいますが「ハレルー(賛美せよ)」と「ヤ(ヤッハウェ)」が一緒になったヘブライ語です。ですから「ヤ」の意味は「主」、神様のことなのですね。「ハレルヤ」は「主を賛美せよ」という意味です。
 旧約聖書の詩編145編から150編をずっと読んでみてください。なんと力に溢れた神様を賛美する詩編でしょう。圧倒されてしまいます。「…火よ、雹よ、雪よ、霧よ、み言葉を成し遂げる嵐よ。…若者よ、おとめよ、老人よ、幼子よ。主の御名を賛美せよ。主の御名はひとり高く 威光は天地に満ちている。…」(148:12-13)「ハレルヤ 神を賛美せよ…息のあるものはこぞって 主を賛美せよ。ハレルヤ」(150:6)。

 ではここで一曲。秋の深まりの中、夜空の月も美しいですね。
 「月光」を佐々木冬彦さんのハープの演奏でお届けしましょう(聴きながら、詩編145:1-9節をご紹介します。

 学生時代、父がガンになり入院し休学せねばならず辛いことが続いた時がありました。病院通いをする中、たった一人雑踏の中で孤独を感じながらも賛美していると気持ちが楽になりました。聖歌隊で覚えた「Trust in Him」(君にたよれ)という歌。「Him」と大文字で書いてあります。これはイエスさまのことです。重荷を主が負ってくださるから望みに溢れて生きることができる…という賛美でした。辛く悲しい時、賛美によって慰められる経験でした。雑踏の中を小さな声で歌い続けました。ますます状況が悪くなり、回復の見通しも見えないとき、自分の願いとは逆に人生の道が導かれていくと感じる時でした。「神様なぜですか? 私にはよくわかりません。…」それでも賛美の声をあげながら、一日一日を乗り越えて行きました。この叫びは、詩編の作者の叫びに共通するような叫びでしたから、詩編が親しく身近に感じられました。

 また、今は天に召されたO姉妹の息子さんがお話してくださったのですが、結婚して50年目に愛する夫が救いへと招かれたとのこと。亡くなる時、夫を抱きかかえ背中をさすりながらずっと「慈しみ深き友なるイエス」(賛美歌312)を歌い続けたそうです。詩編の中に「主を讃美するため民は創造された」(102:19)とありますが、100歳を迎えた音楽の恩師のM先生がいつもおっしゃっていました。「天国に行ったら説教はもうなくて、賛美が続くのよ♪」私たちは今日も賛美しながら喜んで歩む力をいただいているのですね。あなたの今日がどんな一日でも、今日は神様からの一日です。日本では、年間本当に沢山の人が自分の命を絶ってしまっています。どうか絶望せず望みを神様にかけて生きてくださいね。  くまだなみこ

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