キリストへの時間 2010年1月17日(日)放送 キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

内山輝之(清和学園教頭)

内山輝之(清和学園教頭)

メッセージ: せっかく…だから

 おはようございます。清和女子中高等学校の内山輝之です。
 私は現在、高知県に住んでいますが、生まれ育ったのは、岡山県の和気郡という山とたんぼに囲まれた田舎です。小学生の頃は、川に入って魚を手で捕まえたり、家の裏が山だったので、カブトムシや蝉を捕ったり、自然の中で元気に過ごしました。しかし、六年生の途中から一人で悩みを抱えてしまい、外で遊ぶことも少なくなっていきました。もともとおとなしい性格だったのが、家でも学校でもほとんど話さなくなり、文字通りの無口な少年になってしまいました。それでも学校を休むことは無く、中学まではまだ存在感があったように思います。

 高校に入ると悩むことに疲れて、悩まないために真面目とか一生懸命とかという言葉とは縁遠い現実逃避した毎日を淡々と過ごすようになりました。ただ生きているだけ、学校に行っているだけ、将来のことは考えないようにしていました。当然、授業にも身が入らず浪人することになります。さすがにこのままではいけないと考え直して、とにかく大学に入ろうと一年頑張って、関西学院大学に入学しました。

 しかし、入ってしまうとまた目標が無くなり、あるのは将来に対する不安だけです。2ヶ月が経ってこのまま何もしないで4年経ってしまうことに恐怖を感じるようになり、真面目にというのは横に置いといて、一生懸命に何かをしようと考え、クラブに入ることにしました。一生懸命にならざるを得ないクラブで、大学からでも出来るクラブは無いか。答えは応援団でした。とにかく4年間、一生懸命頑張りました。思い出も沢山出来ました。しかし問題は解決していなくて、進路というとてつもなく大きな壁が目の前に立ちふさがってきました。

 しかしここで奇蹟が起こります。ゼミの夏合宿が神戸の六甲山で行われたのですが、ゼミの指導教授の後輩である灘教会の大田正紀先生が参加されていました。大田先生とはその時が初対面でしたが、先生の大きな目で見つめられたとき、相談するのはこの人しかいないと直感して、悩みを打ち明けました。それがきっかけとなり、次の日曜日から灘教会に出席するようになり、礼拝が終わると先生のお宅に寄って帰るというようになりました。先生はとても面倒見のいい方であり、大学卒業後の進路について、まず教員免許を取得することを勧めてくださり、1年間塾や家庭教師で教えながら通信教育で免許をとることにしまた。下宿先や塾は先生が探してくださいました。

 次は、大学院でもっと勉強しないかと勧めてくださり、大学院へと進学しました。大学時代、応援団は頑張ったのですが勉強はそれほど頑張らなかったので、本気で勉強したいという思いがあったからです。大学院に進学した年のイースターに洗礼を受け、クリスチャンになりました。その後、研究を続けるよりもミッションスクールで教えたいという思いが強くなったときに話があった清和女子中高等学校に赴任して、今年で22年目になります。

 私は、マタイによる福音書の7章の7節、「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。」という御言葉に励まされてきました。大学浪人した時、せっかく浪人したのだから志望校のランクを一つ上げようと思い、大学で勉強を怠けて留年した時も、せっかく留年したのだから日本文学科で一番厳しい水谷昭夫教授のゼミに入ろうと思い、人前で声を出すことが苦手なのに、せっかく大学に入ったのだから、それを少しでも克服しようと応援団に入りました。すべて、自分が怠けた結果、けがの功名で偶然そうなったと考えることも出来ますが、私にとっては全てが神さまの導きとしか考えられません。これからも悩むことは多いと思いますが、神様と共に前向きに進んで行きたいと思います。

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