熊田なみ子のほほえみトーク 2011年1月25日(火)放送

熊田 なみ子(スタッフ)

熊田 なみ子(スタッフ)

小さな朗読会137「荒野の中のイスラエル人」
(「母と子の聖書旧約上」出エジプト記15-17章)

 この楽しいひとときのあと、イスラエルの民は、カナンの地に向かって旅を始めました。まもなく、シュルの荒野に来ました。ここには、家畜の食べる草はありましたが、人々が水を飲めるような小川や泉はありませんでした。三日間も水がみつかりませんでした。みなは大変喉が渇いていました。やがて、メラというところに来ました。嬉しいことに新鮮な流れがあります。みな急いで、器や水筒に大切な水を入れましたが飲んでみると苦くて飲めないのです。どんなにがっかりしたことでしょう。民はモーセを非難し始め、「私たちは何を飲むのですか」と正しました。モーセが主に祈ると主は一本の木を示され、それを水に投げ入れるように言われました。モーセは木を切り、それを水に入れました。すると水は甘くなり、イスラエルの民は好きなだけ飲みました。

 間もなく民は荒野の中にある美しいオアシスにたどり着きました。とても綺麗な所で、木もあり、木陰もあり、青く生き生きした所でした。そこに70本もなつめやしの木があり、12の泉からふんだんに水が出ていました。暑い埃っぽい砂漠のあとで、ここはなんと慰めに満ちたいこいの場所だったことでしょう。このエリムのオアシスでイスラエル人はそうとう長い間宿営し、旅の疲れを癒しました。しかし、また進まなければなりません。彼らは天幕をたたみ、持ち物を荷造りし、再び荒野に出ました。

 今度はシンの荒野という荒れた砂漠地帯でした。一ヵ月半も旅をしているうちに、彼らは食物のことでモーセに不平を言い始めました。「われわれはこんな荒野に来るより、エジプトで死んでいたほうがよかった。エジプトでは飽きるほどパンを食べていたが今は餓死しそうだ」と彼らは言いました。主は彼らの不平を聞き、夜には肉、朝には天からパンをおくるとモーセに言われました。その時、イスラエルの民は、いつも自分たちの前にある雲の柱が美しい光を出しているのに気づきました。それは主の栄光でした。神は民に彼らの呟きを聞かれたことを示すために来られたのです。

 夕方ごろ、うずらの大群が宿営の上で飛びました。民はたくさんつかまえ夕食にそれを料理しました。翌朝、霜のように見える濃い露で地面が覆われていました。露が消えると小さい白いものが地面一面に落ちています。みな天幕から出てきてそれを眺めました。「マン・フー」−「これは何か」−と彼らは尋ねました。誰も知らないのでこれをマナと名づけました。種のように見え、手で拾って食べてみると美味しいのです。モーセは、「これは主が約束されたパンです。今日いる分だけ拾いなさい。明日までおいてはいけません。毎日、また降るからです。」と言いました。彼らは、その日に必要な分だけ集めました。太陽が暑くなると残ったものをとかしてしまいました。モーセのいいつけにもかかわらず翌日分まで取っておいた人もいました。しかし、それには虫がつき臭くなってしまいました。モーセは、言いつけを守らなかったと言って大そう怒りました。

 六日目になるとモーセは民に、「今日はいつもの倍集め今日いる分だけ調理し、あとは明日まで残しておきなさい。明日は安息日でマナは降りません」と言いました。イスラエルの民は、安息日のない異教国エジプトに長く居ました。異教国では、人々は休息など取らないで毎日働きます。神様は安息日を清くして、その日は働かないことを民に教えようと思い、安息日にはマナを送られませんでした。ところがモーセの言いつけにそわず、安息日のためにマナを残しておかなかった人々がいました。彼らはその朝、いつものように出かけてマナを拾おうとしましたがもちろんありません。主はモーセに、「民に私に従わなければいけないと伝えなさい」と言われました。それからは、民は安息日には休みました。

 モーセは、「主は壷にマナを一杯入れ、わたしたちの子や、その子の子が、私たちの荒野の旅の間、主が食べさせてくださったパンを見ることのできるようにいつまでも大切にするよう要求しておられる。」と言いました。この素晴らしい天のパンは、蜂蜜入りのお菓子のような味がしました。色は白くて、種のようでした。主は、イスラエル人がカナンの地に着くまで40年間マナを与え続けられました。

 イスラエルの民は、シンの荒野から出て、レピデムの高地に天幕を張りました。ここは大変石の多い所でまわりは山です。また飲み水がなくなり、民は「なぜわたしたちをエジプトから連れ出したのですか。私たちも、私たちの子や牛も、渇きのために死んでしまいます。」と言ってモーセを非難しました。もうここまでくればイスラエルの民は主が守ってくださるということがわかっていなければならないはずです。モーセは主に「わたしはこの民をどうすればよいのでしょう。彼らは今にも私を石で撃ち殺そうとしています」と叫びました。主はモーセに、山の岩の一つに行って、それを杖で叩けば水が出てくる、と答えられました。モーセがそのようにすると、岩からいい水が出てきました。民は思う存分水が飲めます。

 レピデムの山地には、アマレクといわれる人々がいました。皆さんは、エサウが二人の異教徒の女を妻にもらったことを覚えていますか。アマレク人は、このエサウの妻の一人から生まれた子孫です。イスラエル人がエジプトに住んでいる間、アマレク人はこの荒れた山地に住んでいました。彼らはあちこち歩き回る民族で、イスラエル人が大勢自分たちの国を通ろうとしているのを見て戦いたくなりました。彼らは、イスラエルの民の後ろの方の疲れたり弱ったりして、皆に追いつけないで遅れている者たちに、岩の後ろに隠れて矢を打ちました。モーセはヨシュアという若者を呼んで、アマレク人と戦うために兵隊を選ぶよう言いつけました。

 モーセとアロンと義兄と思われるホルを連れて祈るために山の上に行きました。モーセが祈りの手を上げていると、イスラエル人はアマレク人を追い払いましたが、モーセが手を下ろすと、アマレク人のほうがイスラエルの民より強くなるのでした。モーセは手を上げていようとしましたが、疲れて、どんなに努めても、どうしても上げていられなくなりました。これを見たアロンとホルは、大きな石を捜してモーセを座らせ、アロンはモーセの片側に行ってその右手を支え、ホルは左手を支えました。アロンとホルは、太陽が沈み、イスラエルが勝つまで、モーセの手を持ち上げていました。イスラエル人を攻めたアマレク人を、神様は大そうお怒りになられました。そして、幾代にも亘って、御自ら彼らと戦われると約束されました。

 キャスリン・ヴォス作・有賀英子訳「母と子の聖書旧約上」より、小峯書店発行絶版  くまだなみこ

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