あさのことば 2012年9月28日(金)放送    あさのことば宛のメールはこちらのフォームから送信ください

風間義信(江古田教会牧師)

風間義信(江古田教会牧師)

メッセージ: 十字架にあらわれた希望

 ごきげんいかがでしょうか。江古田教会の風間義信です。
 この日本では宗教の話は嫌われ、何か信仰を持っているとなりますと、煙がれるような感じがあります。その中でもキリスト教はそうではないでしょうか。本当に神がいるならば見せて欲しい、よく言われることです。

 確かにまことの神様は、今、ここで私たちの目で見ることはできません。しかし、このことはいないから見えないというのではありません。そうではなく、その方がはっきりと分かる姿であらわれてくださった、それが人となられた神、イエス・キリストです。

 イエス・キリストの地上での生涯は30数年ほど、活躍されたのは2,3年だったかもしれませんが、そこで語られた言葉や行動によって、神とはいかなる方であるかが示されたのです。ところが、そのキリストは最後に十字架に付けられ、苦し紛れに叫び声を出しているではないか、飛び降りてみろといわれても出来なかったではないかと言われそうです。

 実は、その叫びと苦しみは私たちのものでした。本来なら、神の下を離れ、受けなければならなかった苦しみを、私たちの身代わりとなって逃げずに耐え忍ばれたのです。ですから、本来なら最も恥ずかしい十字架を教会は堂々と掲げ、この十字架のキリストに神を見ています。それは決して恥ずかしいことではなく、ここにこそ私たちを支え、苦しみから解放してくださる方がおられることを見ているのです。それはこの方こそ、私のすべてを理解し、慰め、重荷を担ってくださっているからなのです。

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