聖書を開こう 2012年4月19日(木)放送    聖書を開こう宛のメールはこちらのフォームから送信ください

山下 正雄(ラジオ牧師)

山下 正雄(ラジオ牧師)

メッセージ: イエス・キリストの名によって(使徒3:1-10)

 ご機嫌いかがですか。キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。

 聖書には病からの癒しの奇跡が数多く記されています。この奇跡についての記事を読むときに、起こった奇跡の不思議さに目が奪われてしまいがちです。その場合、奇跡の不思議さに対する反応は様々です。
 ある人は、自分の身にも同じような奇跡が起こることを期待します。医者からも見放されるような病のために苦しんでいる人であれば、そう思うのも当然です。また、ある人は、常識では起こり得ないような出来事に、その奇跡の信憑性を疑います。経験上の常識を持ち出せば、そう結論するのも当然です。さらにまた別の人は、出来事の背後に働いておられる神の存在を信じて、そのような偉大な業をなしてくださる神をほめたたえます。信仰によって出来事を受け止めれば、神を賛美するのも当然の結果です。
 しかし、奇跡を体験した本人がどうなったのか、という視点は、案外忘れられがちです。当然、奇跡を受けた本人は、病気が癒されたり、悪霊が追い払われたりするわけですが、その結果、どういう生き方になったのか、ということは、読者の関心に上ることは少ないように思います。もちろん、その人がその後、どんな行動をとったのか、どんな暮らしになったのか、そこまで記している奇跡の記事はあまりありませんから、関心を持たないのも無理もないことかもしれません。しかし、その奇跡がそれを目撃した人たちにとってどういうメッセージを持っているのかというのと同じくらい、奇跡を受けた本人にとってどんな変化をもたらすほどの重要性をもっていたのか、ということは大切なポイントであるように思います。

 それでは早速今日の聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書使徒言行録 3章1節〜10節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。

 ペトロとヨハネが、午後三時の祈りの時に神殿に上って行った。すると、生まれながら足の不自由な男が運ばれて来た。神殿の境内に入る人に施しを乞うため、毎日「美しい門」という神殿の門のそばに置いてもらっていたのである。彼はペトロとヨハネが境内に入ろうとするのを見て、施しをこうた。ペトロはヨハネと一緒に彼をじっと見て、「わたしたちを見なさい」と言った。その男が、何かもらえると思って二人を見つめていると、ペトロは言った。「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」そして、右手を取って彼を立ち上がらせた。すると、たちまち、その男は足やくるぶしがしっかりして、躍り上がって立ち、歩きだした。そして、歩き回ったり躍ったりして神を賛美し、二人と一緒に境内に入って行った。民衆は皆、彼が歩き回り、神を賛美しているのを見た。彼らは、それが神殿の「美しい門」のそばに座って施しをこうていた者だと気づき、その身に起こったことに我を忘れるほど驚いた。

 きょう取り上げた個所には、使徒たちによって行われた奇跡の記事が記されていました。すでに、使徒言行録には、使徒たちの手によって多くの不思議な業としるしが行われていたことが報告されていますから(2:43)、きょうの話はその具体的な報告と考えることができます。

 さて、ペトロとヨハネが午後三時の祈りの時に神殿に上って行った時のことです。

 話はすこし脱線してしまいますが、キリストの弟子たちは、このときはまだユダヤ教の習慣に従って、一日に三度の祈りの時間を守っていたようです(ダニエル6:11参照)。一世紀末から二世紀初頭の頃に書かれた「十二使徒の教訓」と呼ばれる書物の中には、主の祈りを一日に三度祈るようにとの勧めがありますから(ディダケー8:3)、一日に三度祈る習慣は、使徒たちの後の時代もしばらくは続いていたようです。もちろん、紀元70年には神殿はローマ軍によって破壊されていますから、祈りの時間に神殿に上って行くということは、その後の時代のクリスチャンにはありませんでした。

 さて、その定められた祈りの時のために、ペトロとヨハネが神殿に上っていくと、生まれながら足の不自由な男の人が運ばれてきました。
 祈ることと施しをすることは、当時のユダヤ人にとっては宗教生活に欠くことができない要素でしたから、神殿に集まって来る人々をあてにして、物乞いをする人たちも神殿に集まってきました。きょう登場する男の場合は、自分で歩いて来ることができないわけですから、友人か親兄弟の手を借りて運ばれてきたのでしょう。そして、おそらくは、ここに物乞いに来るのはきょうが初めてなのではなく、いつものことだったと思われます。この足の不自由な人が日々の暮らしを維持していくためには、人々の善意にすがるよりほかはなかったのです。それはそれで、施しの習慣が社会に果たす役割は大きかったと思われます。

 ペテロとヨハネはこの男性をじっと見つめ、「わたしたちを見なさい」と言いました。じっと見つめられただけでも、何かを期待できそうなところへ持ってきて、「わたしたちを見なさい」などと言われたものですか、期待は高まるばかりです。この男もまた言われる通りに、ペトロとヨハネを見つめます。

 ところが、ペトロの口から出た言葉は、男の期待から大きく外れるものでした。話の結末からすれば、この男は自分の期待したこと以上のものを手に入れることができたのですが、この時はペトロの言葉に多少の失望を感じたかもしれません。

 「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」

 日本の教会は、他のキリスト教国の教会に比べて、決して経済的な余裕があるとは言えませんし、日本社会の中で見ても裕福な組織であるとは言えません。しかし、それでも、あの時の使徒たちよりは、ずっとお金持ちであるかもしれません。
 しかし、問題なのは、経済的な価値では測ることができない確かなものを、この世に対して提示することができているか、ということだと思います。もし教会がその大切な務めを果たすことができていないとすれば、それこそ教会の存在意義が問われてしまいます。
 ペトロやヨハネがしたのと同じように、今でも教会のメッセージは金や銀の多さにあるのではなく、ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい、という事の中にあります。

 さて、ペトロはそう言いながら、手をとって男を立たせました。すると、たちまち、その男は足やくるぶしがしっかりして、躍り上がって立ち、歩きだした、というのです。

 この奇跡が、単に足の不自由な男の足を癒した、という話だとすれば、ここまで話を記せば十分です。しかし、使徒言行録は、この男が歩けるようになったということを記して終わるのではなく、この男が歩き回ったり躍ったりして神を賛美し、ペトロたちと一緒に境内に入って行った様子までも描いています。
 この奇跡は単なる不自由な足の癒し物語ではありません。そうではなく、神を躍り上がってほめたたえ、共に神を礼拝する者とされた、というところにこそ、その素晴らしさがあるのです。
 自分の置かれた境遇に落胆し、どうすることもできない人生に失望していた人が、イエス・キリストの名によって希望を見出し、喜び躍りながら神をほめたたえる者とされる奇跡は、今もなお教会が経験している神の御業です。教会には金も銀もなく、おまけに病を癒す奇跡の力もないというのではありません。使徒たちと同じように、イエス・キリストの名によって人々を立ち上がらせる尊い働きを、主から委ねられているのです。

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