キリストへの時間 2013年7月21日(日)放送 キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

山下正雄(ラジオ牧師)

山下正雄(ラジオ牧師)

メッセージ: 幸せな人

 おはようございます。ラジオ牧師の山下正雄です。
 自分の人生が幸福に満ちたものであることを誰もが願っていると思います。もちろん、それは自分だけが幸せであることを願っているのではありません。当然、自分の家族や周りに暮らす人たちの幸福も含めて、幸せな人生を送りたいという願いです。

 わたしたちの国の憲法にも「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」という言葉が出てきます(13条)。これを幸福追求権と呼んで、今では幸福追求権は、あらゆる基本的人権を包括的に言い表したものであるとさえ考えられています。この幸福の追求に関する思想は、アメリカの独立宣言の中に既に表明されており、こう記されています。
 「我々は以下の事実を自明なものと確信する。すなわち、すべての人間は平等につくられ、創造主によって、生存、自由および幸福の追求を含む侵すべからざる権利が与えられている。」
 ここには創造主である神が、人間に与えた不可侵の権利の一つに、幸福を追求する権利が含まれるというのです。
 しかし、「幸せ」とか「幸福」という言葉は、ある意味、漠然としています。何となくイメージできるようで、しかし、その中身は人それぞれに違っています。しかも、人が自分で考えた幸福を実現した時に、本当に幸福感に満たされるかというと、また話は違ってきます。
 例えば、基本的人権の中には、経済活動の自由ということがあります。確かに、この自由が誰かによって侵害されれば、幸せな暮らしを送ることができないというのは想像がつきます。しかし、好きな場所に暮らし、好きな仕事を選び、働いて築いた財産を好きなように使うことができたとしても、そこから尽きることのない幸福感がでてくるかというと、そうでもないのが人間です。
 あるいは、生存権が保障されることで、他の人によって命を奪われない権利が守られたとしても、病や死そのものの恐怖から解放されるわけではありません。ですから、生存権が保障されるというだけでは、幸せに生きるいということは実現しないのです。
 わたしは人間のあらゆる営みが幸福の追求であることを否定しませんし、そうであることを願っています。しかし、根本的な安心感がないところには、真の幸福の実現もないと思っています。

 聖書の中に登場する「さいわい」は、時として人間の常識にとっては不可解なものがあります。とくに、主イエス・キリストがおっしゃった幸いな者たちについての教えは、耳を疑うような内容です。
 キリストは、貧しい者は幸いであると教えてはばかりません。飢えている人や泣いている人の幸いをおっしゃいます。常識ならば、貧困や飢えや悲しみを克服してこそ、幸福を感じることができると言えるでしょう。もちろん、キリストも貧困や飢えや悲しみが続くことを望んでいらっしゃるわけではありません。そうではなく、当座は解決できないこれらの問題に対して、神の報いを約束してくださっているのです。神の約束が確実だからこそ、今直面している問題に圧倒されて、不安に打ちのめされることがないのです。
 それは、裏を返せば、神からの報いがなければどんなことも空しく、神からの報いが保障されなければ、どんな安心感もないのです。このことを知って、幸福を追い求めるときに、人は満足のいく幸せな人生を送ることができるのです。

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