キリストへの時間 2013年11月3日(日)放送 キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

山下正雄(ラジオ牧師)

山下正雄(ラジオ牧師)

メッセージ: 主イエスと出会った人々-洗礼者ヨハネの場合-

 おはようございます。ラジオ牧師の山下正雄です。
 イエス・キリストについて記した福音書には、様々な人々が登場します。幼子からお年寄りまで、年齢にも幅があります。男性もいれば女性も登場します。王の称号を与えられた者もいれば、どこにでもいそうな漁師や農夫も登場します。人々からは蔑まれ、後ろ指を指されるような人もいれば、民を導く立派な宗教的な指導者も登場します。そこに登場する人たちは、今わたしたちの周りに生きている人たちと同じように、決してひとくくりの何かで表現できる人たちではありません。そして、そこに登場するほとんどの人たちは、今わたしたちのまわりに生きている人たちと同じように、だれの記憶にも残るような特別な人たちばかりではありません。しかし、ひとつ共通していることは、人生のどこかでイエス・キリストと出会ったということです。

 福音書に登場するそんな人たちの中から、毎回一人を取り上げて、お話したいと思います。今回は洗礼者ヨハネの話です。
 洗礼者ヨハネは救い主の先駆けとして、明確な使命を与えられて誕生します。救い主その人ではなく、その先駆者です。人々の心を整えて、救い主であるイエス・キリストを迎えることができるようにと、ヨルダン川で悔い改めの洗礼を授けます。ヨハネの周りにはだんだんと大勢の人が集まってきます。やがてその中から、ヨハネの弟子になる者たちもあらわれます。その様子から、ヨハネの人望がどれほどのものであったかは、簡単に想像がつくと思います。
 そうなってくると、ヨハネを見る人々の目も違ってきます。エルサレムのユダヤ人たちが人を遣わして、「あなたは誰なのか」と問わせます。おそらくこの質問は、好意的な期待を込めた質問というよりは、ヨハネを危険視する人たちの尋問といったらよいかもしれません。

 ヨハネは相手が誰であろうと、その質問に明確な答えをもっていました。第一に、自分は救い主メシアではないこと、第二に、自分は預言者イザヤが預言した「荒野で叫ぶ声」にすぎないことです。やがて現れるまことの救い主のために、道備えをすることが自分に与えられた使命であることを、ヨハネははっきりと自覚していました。
 これは当たり前のことのように思えますが、ヨハネの人間的な人気の高さを思うと、自分の立場をわきまえることは、そう簡単ではありません。神に仕えるはずの務めが、いつのまにか神の権威そのものになって、あたかも自分が救い主や神になったかのように振舞ってしまうのが人間の弱さです。ヨハネにはそういううぬぼれも高慢もありませんでした。

 このヨハネが、イエス・キリストと出会ったとき、「この人こそわたしのあとからおいでになる方、世の罪を取り除く神の小羊だ」と証言します。その証言を聞いた自分の弟子たちが、イエスのところへ行っても、ヨハネは動じることはありません。周りの人たちの方がかえって心配になって、「あなたが証言したあの人の方へ、みんなが行っています」とヨハネの注意を促しても、それでも動揺しません。自分が何のために遣わされたのか、その使命を徹底してわきまえているからです。花婿の声を聞いて喜ぶ花婿の介添え人のように、自分は今喜びで満たされているとさえ告白します。
 「あの方は栄え、わたしは衰えねばならない」と語る洗礼者ヨハネの言葉が印象的です。実際ヨハネはこのあと投獄されて、宴会の余興に首をはねられて命を落とします。しかし、たとえそうであったとしても、キリストを指し示し続けるヨハネの働きを通して、多くの人々が救い主イエス・キリストと出会うことができたのです。

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