あさのことば 2015年6月25日(木)放送    あさのことば宛のメールはこちらのフォームから送信ください

川杉安美(綱島教会牧師)

川杉安美(綱島教会牧師)

メッセージ: いっぺんにではなく

 ごきげんいかがですか。綱島教会の川杉安美です。
 聖書の中に次のような言葉があります。「わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。」 新約聖書コリントの信徒への手紙一の13章12節です。

 神様を知るということについては、今地上で生きている間は、どうしてもなんらかの制約があるようです。「鏡におぼろに映ったものを見ている」とあります。紀元1世紀の話ですから、鏡というのも銅を磨いた程度のもので、そんなにはっきり映るというものではありません。
 確かにやがては、顔と顔とを合わせて見るように、神様をはっきり知ることになるという希望があります。しかし、今地上で生きている間は、神様を知るということについては、部分的であり、不完全であり、おぼろげな状態ということです。そんな中で、少しずつ成長しながら少しずつ神様のことが分かっていくというものなのでしょう。

 有名なイエス様の弟子のパウロでさえも言っています。「わたしは、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕らえようと努めているのです」。

 現代は、効率やスピードが求められる時代、情報においても大量かつ高速で広がる時代、すぐに結果を求めるような時代です。そういう中では、もどかしいと思うかもしれません。しかし、神様を知っていくというのは、一生涯かかる大事業と言えるでしょう。それは、必ず大きな実りと益をもたらす大事業なのです。

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