熊田なみ子のほほえみトーク 2015年11月24日(火)放送

熊田 なみ子(スタッフ)

熊田 なみ子(スタッフ)

小さな朗読会195「二つの王国についての話」
(「母と子の聖書旧約下」92章)

 ヤラベアム二世は、イスラエルの王でした。彼は、41年という長い年月治めましたが、よい人ではありませんでした。彼はエヒウの血統で4人目の王でした。そして、エヒウの家のほかの王と同じように、金の子牛を礼拝しました。
 ヤラベアムは、よい王ではありませんでしたが、長い間、イスラエル人を抑圧してきた隣の国のスリヤに対し、何回か戦争をこころみ、勝利を得ました。イスラエルの民は、あまりにもスリヤ人の残虐さに苦しめられてきたため、神さまは、イスラエルの民をあわれまれたのです。神さまは、ヤラベアムをとおして、民を助けられたのです。イスラエル人は、スリヤ人から、自分たちの町をいくつか取り返しました。イスラエルはふたたびソロモン時代のような大きな国になりました。

 それなのに、ヤラベアム王は金の子牛を礼拝しました。彼の治めているころ、イスラエルの民は、ぜいたくをし、毎日お酒を飲んですごし、神さまのことを忘れていました。金持ちは貧乏人をいじめました。
 神さまは、預言者アモスとホセアをとおして、民をご自身にたちかえらせようとされました。預言者アモスは、イスラエルの民に、神さまが罪と偶像礼拝のために罰をくだされる、と伝えました。また、その王ヤラベアムは殺され、みな捕われの身となるともいいました。
 にせ預言者のひとりがヤラベアムに、預言者アモスの言っていることを伝えました。それから、にせ預言者はアモスに、イスラエルの国を離れ、そういう預言者がもっと喜ばれるユダの国にゆけ、と言いました。
 アモスは、「あなたは、イスラエルに預言しないように、と言うが、神はわたしに、『行ってわたしの民イスラエルに預言せよ。イスラエルは必ず捕えられる』と言われました」とこたえました。

 アモスのときより何百年も前に、モーセはもしイスラエルの民が神を忘れて偶像を礼拝するなら、神は、彼らに与えたよい土地を取り上げられる、と厳重に警告しています。彼らは、この警告を忘れていました。そして、長い間、偶像を礼拝しました、そこで主は、ふたたび、もし彼らが神に立ち返らなければ、彼らを異国に捕らわれの身としてゆかせるといわれたのです。
 アモスは、ヤラベアム二世の治めているときに預言しました。この王も悪い王でしたが、あとからきた王のほうがもっと悪かったようです。
 ヤラベアムの死後、息子のゼカリヤが王になりました。非常に短い間しか治めませんでした。半年しか王座についていなかったのに、彼は家来の一人シャルムに殺されました。こうしてエヒウの家系は終わりました。神さまがエヒウに約束されたとおり、その家系は四代にわたってイスラエルの王になりました。

 ゼカリヤを殺したシャルムが、王になりました。彼はわずか1カ月治めたあと、メナヘムという人に殺されました。彼は10年間治めました。メナヘムは野ばんで残酷な人でした。彼はスリヤを侵略し、残虐な方法で捕りょになった人たちを殺しました。
 これは、大国アッスリヤが世界でいちばん強い国、イスラエルやスリヤよりも遥かに大きな国になったころのことです。
 アッスリヤの王は、小国イスラエルに、戦いをいどみました。もし、メナヘムがよい王であったら、主に助けを求めたでしょう。しかし、メナヘムは神さまのことなど、まったく考えませんでした。彼はアッスリヤ王にイスラエルに戦争をしかけないでくださいと、銀30タラントを渡しました。

 イスラエルでは、神さまはほとんど忘れられていました。お酒と、あらゆる種類の罪が、国じゅうにひろがっていました。人々は、金の子牛やほかの偶像を礼拝しました。彼らは自分の子供まで、モロクにささげました。彼らは、幼い子供をこの偶像の腕におき、偶像のなかに火を真赤にたきつけました。かわいそうな子は、焼け死にます。人々は、自分の幼い子供をささげれば、偶像が喜ぶと思っていました。
 国には善も平和もありませんでした。人々は、イスラエル人より前にこの土地にいた異教徒のように悪くなりきっていました。
 10年後、メナヘム王は死にました。その子ペカヒヤが王になりました。ペカヒヤは父親なみの王にすぎませんでした。わずか2年間イスラエルを治めただけで、将軍のひとりのペカに殺されました。ペカは20年間治めました。イスラエルに、6人の悪王が続いたこの期間に、ユダは一人の王に治められていました。良い王様ウジヤは、何年間もユダを治めました。

 ウジヤはたった16歳のとき王になりました。彼は52年間、エルサレムで治めました。ウジヤは正しいことをし、主は彼を富ませられました。イスラエルで、王が暗殺されたり、偶像礼拝が行われたり、不幸な出来事が続いているあいだ、ユダの王国は、神を恐れ、幸福で裕福な歳月を楽しみました。
 ウジヤ王は、ペリシテ人と戦いました。主は、ウジヤがペリシテの町々を征服し、城壁をこわすのを助けられました。ウジヤは、アラビヤ人も従えました。アンモン人も、彼のもとに供え物をしなければなりませんでした。
 彼は、エルサレムの門に丈夫で堅固なやぐらをたて、こわれていた城壁を修理しました。また、盾、やり、かぶとで武装した兵を30万以上ももっていました。軍隊は石を投げるための弓や石投げの石を備えました。
 ウジヤはまた、矢や大きな石を射だすための機械をエルサレムの塔に備えました。これらの機械は、ユダの国のかしこい人たちによって考案されたもので、だれもこんなものを今までに見たこともありませんでした。
 ウジヤ王は農耕が大好きでした。彼はぶどう畑や、たくさんの羊や牛をもっていました。牛や羊に水が十分ゆきわたるように、たくさんの井戸を掘らせました。
 当時、こういったことは、実にすばらしいことだったので、ウジヤの名声は、遠く、エジプトにまでおよびました。神さまは、いろいろとウジヤを助けられました、その国は大そう強い国になりました。
 しかし、ウジヤは自分の力を誇るようになりました。そして、祭司たちのように、自分も神殿にはいって、金の香壇で香をたいてもよい、と考えました。
 香炉をもって彼は宮にはいりました。何人かの祭司が、香炉をもって宮にはいっていく王を見たので、80人ほどの祭司が、王のあとを追って、「ウジヤよ、主に香をたくことはあなたのなすべきことではなく、ただアロンの子孫で、香をたくためにきよめられた祭司たちのすることです。神はあなたにたいして怒りを発せられます」と言いました。
 ウジヤ王は、祭司たちが自分を止めたことを怒りました。しかし、そこに立っているうちにも、神さまは彼を罰しました。恐ろしい重い皮膚病が、王の額にでてきました。祭司たちは、驚きと、おそれをもって、王の額のいまわしい白いはん点に見入りました。そして、ウジヤ王が重い皮膚病にかかったことに気づきました。彼らは、王を宮から追いだしました。ウジヤも自分が重い皮膚病にかかったことに気づくと、いそいで立ち去りました。
 残る生涯、ウジヤはひとりで暮さなければなりませんでした。二度と神殿にゆけません。彼は王ではありましたが、息子のヨタムが実際の統治をしました。
 52年間という長い統治を終えて、ウジヤはとうとう死にました。彼は先祖といっしょに葬られ、息子ヨタムが治めました。
 16年間、ヨタムはエルサレムで王でした。父のように、ヨタムも主のまえに正しいことをしました。ヨタムは主を礼拝したので、神さまは彼を助け、戦いで勝利を与えられました。ヨタムは、強い王になりました。
 彼はウジヤのように、王国をもっと強くするために、城ややぐらを建て、そして敵を征服しました。彼はアンモン人と戦い、勝利を得ました。
 王が主をうやまっているあいだ、その王の民は幸福で、恵まれていました。
 16年間治めたあと、ヨタム王は死に、その子アハズが王になりました。

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