聖書を開こう 2015年6月4日(木)放送     聖書を開こう宛のメールはこちらのフォームから送信ください

山下 正雄(ラジオ牧師)

山下 正雄(ラジオ牧師)

メッセージ: 聖霊の働き(ヨハネ16:8-15)

 ご機嫌いかがですか。キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。

 イエス・キリストは弟子たちのもとを去って、父なる神のもとへお帰りになる、ということを弟子たちに告げました。それを聞いた弟子たちは、寂しくまた辛い思いになっただろうと想像します。しかし、その上に、イエス・キリストは、ご自分が去った後には迫害が起こるということを告げられました。それを聞かされた弟子たちは、どれほど悲しい気持ちになったことでしょうか。この悲しみに沈む弟子たちにお語りかけになるキリストの言葉を、今日はご一緒に学びましょう。

 それでは早速今日の聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書 ヨハネによる福音書 16章8節〜15節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。

 「その方が来れば、罪について、義について、また、裁きについて、世の誤りを明らかにする。罪についてとは、彼らがわたしを信じないこと、義についてとは、わたしが父のもとに行き、あなたがたがもはやわたしを見なくなること、また、裁きについてとは、この世の支配者が断罪されることである。言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。だから、わたしは、『その方がわたしのものを受けて、あなたがたに告げる』と言ったのである。」

 キリストが父のもとへ去って行かれるということには、二つの側面がありました。その一つは、先週も取り上げたように、それを境に迫害の時が訪れるということでした。ユダヤ人たちは弟子たちを会堂から追放し、命さえも奪うほどです。しかも迫害する者たちは、自分たちこそ神に仕える者である、という確信に満ちた迫害です。それは弟子たちにとって、マイナスの側面です。そのことを聞かされた弟子たちの気持ちはすっかり萎えてしまい、悲しみが心を覆ってしまいました。

 けれども、主イエスご自分が地上を去って父のもとへ行かれるということがもたらす、もう一つの側面についても、キリストは語ってくださいました。

 「実を言うと、わたしが去って行くのは、あなたがたのためになる」

 意気消沈していた弟子たちにとって、このキリストの言葉は意外な響きに聞こえたに違いありません。どうして、キリストが去って行くことが、弟子たちにとって益をもたらすことになるのでしょうか。それはキリストが去っていくことと入れ替わりに、弁護者である聖霊が弟子たちのもとにやって来られるからです。

 この二つの事柄…キリストが去っていくことと、聖霊が遣わされることとは、連続した一つの事柄です。この二つを切り離して、聖霊の派遣だけを望むことはできません。キリストが去る事がなければ、聖霊の派遣もあり得ないからです。

 ところで、この弁護者である聖霊がやって来るということについては、既に、14章でも15章でもキリストはお語りになっています。つまり、これで三回目の予告ということになります。三度繰り返して語られるのですから、このことがどれほど大切な意味を持っているか、ということを物語っています。特に迫害について語ったあとで、弁護者である聖霊の働きを弟子たちに教えられたのには、大きな意味があります。弟子たちはキリストが去った後、決して孤独の中で迫害に耐えるのではないということです。自分の信仰の立場を強力に弁護して下さるお方が、そば近くに遣わされてくるということなのです。

 さて、その弁護者である聖霊の働きについて、キリストは二つの側面を述べていらっしゃいます。

 その一つはこの世に対しての働きです。罪について、義について、裁きについて、この世の誤りを徹底して暴き出し、その誤りを認めさせるまでに導く働きです。

 イエス・キリストが十字架にかけられたのは、主イエスに罪があったからではありません。そうではなく、キリストを十字架にかけたのは、この世の不信仰のためでした。この世は救い主であるキリストを認めることも、信じることもせず、救い主であるキリストを十字架にかけてしまいました。弁護者である聖霊は、この世が犯したその罪を明らかに示します。

 しかし、この世はキリストを十字架にかけることで、キリストよりも自分たちの方が正しかったと、自分の義をますます確信します。しかし、イエス・キリストは死からよみがえられ、父なる神のみもとに栄光のうちにお帰りになることで、ご自分の義を明らかにします。こうして明らかにされた義を、聖霊は信じる者たちに確信させ、この世の主張する義が誤りであったことを示し続けます。

 さて、弁護者である聖霊の働きのもう一つの側面は、クリスチャンに対する働きです。それは、弟子たちを真理に導くと言う働きです。キリストは、弟子たちにまだたくさんの語るべき言葉を持っていました。けれども、弟子たちの理解力は、もはや、これ以上イエス・キリストの言葉に耐えられるものではありませんでした。そこで後に遣わされる聖霊の助けによって、キリストは弟子たちを真理へと導いてくださるのです。不確かな人間を通して聖書の真理が今の今に到るまで正しく伝えられてきたのは、この聖霊の働きがあるからです。そういう意味で、聖霊は「真理の霊」とも呼ばれているのです。

 ところで、ここでいう「真理」とは、イエス・キリストにおいて明らかにされている真理のことを指しています。この福音書の冒頭部分で、「恵みと真理はイエス・キリストを通して現れた」と言われています。また、主イエス・キリストご自身も「わたしは真理である」とおっしゃっています。

 真理の御霊が信仰者に伝える真理とは、まさに、キリストのうちに明らかにされたこの真理にほかなりません。この真理の霊について、この霊は「自分から語るのではない」「わたしのものを受けて、あなたがたに告げる」といわれている通りです。
 こうしてイエス・キリストは、弁護者であり真理の霊である聖霊をお遣わしくださり、迫害に苦しむ信仰者一人一人を慰め助けてくださいます。

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