キリストへの時間 2019年3月3日(日)放送

申成日(広島教会牧師)

申成日(広島教会牧師)

メッセージ: 映画『レ・ミゼラブル』を観て

 おはようございます。広島教会の牧師、申です。今日はミュージカル映画「レ・ミゼラブル」を観て感じた話をさせていただきます。

 皆さんの中でもご覧になった方がいらっしゃると思いますが、なかなか良くできた映画であります。貧しさと空腹のあまり、たった1本のパンを盗んだことで、人生が変わってしまったジャン・ヴァルジャンの話でありますが、彼の人生の中でいろいろな出会いがあり、様々なストーリーを楽しむことができます。

 1人の人の回心と、しかしそうであっても、犯した罪は償わなければならないこの世の原理によって逃げ回る人生、そして彼を執拗に追いかける正義感の強い警官との緊迫感あるバトル、またその中で出会う小さな少女コゼットとの家族愛、成人したコゼットを恋した若き革命家マリユス、そして彼らを取り巻くフランスの社会的情勢、また自由を求める民衆の蜂起(ほうき)、これらのことがすべて歌を通して表現されていることが本当に面白さと感動を呼びよせます。

 いろいろなストーリーがありますが、その中でわたしが関心を持ったのは、逃げ回るジャン・ヴァルジャンと彼を追い続ける警官ジャヴェールとの様々な戦いでした。ジャン・ヴァルジャンは司教の前では罪を告白し回心したとは言え、依然として脱獄した受刑囚であるし、警官ジャヴェールはそのような罪人を絶対赦さない正義感の強い人でした。しかし彼は、後になるとジャン・ヴァルジャンの人の良さを知り、また彼に命を助けられて、今まで自分のやっていたことの信念が崩れていく、そして結局は自ら川に身を投じてしまいます。実はその警官のジャヴェールの姿から、わたし自身の姿が少しクローズアップされて、ぞっとした気持ちになりました。

 何か不正や不義を見ると憤りを感じる自分の姿がよくあります。それは悪いことではありませんが、冷静に考えれば自分は正しいのか、自分は神様の前で正々堂々と生きているのかと言えば、そうでもありません。自分もやはり罪人であり、様々な欠けがあります。しかし、そうでありながらも自分には甘く、他人には厳しくしてしまう高慢さがあります。
 
 犯罪人は当然でありながらその罪を償わなければなりません。しかし、犯罪人が償いとして罰金を払ったり、刑務所の生活に強いられるのはただその罪の償いのみならず、そこから立ち直って新しい生活を送るようにという意図も含まれていると思います。もし、このような償いに対して誰かが代わりになってくださるとすれば、それほど大きな恵みはないでしょう。

 聖書は、人は皆罪を持っていると言っています。それは人間が神によって造られた最初の時からそうであるのではありません。最初の人間は罪のない、神様に似せて造られた、つまり聖い神様と交わることの出来る聖い者として造られましたが、その最初の人間が神に背き、神が言われたことを聞かなかった時、罪が人間に入り込みました。それ以来、人は罪に赴く、罪の本性を持って生まれるようになったと聖書は語っています。

 罪が支払う報酬は死であって、それは肉体の死のみならず、神様との関係が断絶してしまうことを意味します。神様はその罪を憎む方ですが、しかし、人間を愛しておられました。御自分に似せて造られたからです。神はその人間の罪を赦し、その罪を代わりに償ってくださるためにイエス・キリストを送ってくださいました。聖書によれば、このイエス・キリストを救い主と信じる人々には罪の赦しと永遠の命が神様から与えられると言っています。

 わたしたちは今も罪に赴く罪人であります。しかし、この罪の本性の問題は自分の力では解決することが出来ません。そのことを解決してくださるために神から送られたイエス・キリストを信じることのみが罪から解放される唯一の方法です。どうか、自分の弱さを認め、悔い改めてイエス・キリストにより頼んでみませんか。きっと新しい人生が始まると思います。

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