キリストへの時間 2019年11月10日(日)放送  キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

坂尾連太郎(南与力町教会牧師)

坂尾連太郎(南与力町教会牧師)

メッセージ: ただ一つ必要なこと



 おはようございます。南与力町教会の坂尾連太郎です。
 今朝はルカによる福音書10章38節から42節の御言葉に共に耳を傾けたいと思います。

 イエス様と弟子たちは、エルサレムに向かう旅を続けていました。ある村に入ったとき、マルタという女性が、イエス様を自分の家に迎え入れ、もてなしました。当時は今のようにいろんなところにホテルや宿屋があるわけではありませんでした。そこで旅人を自分の家に招いて、もてなす習慣がありました。このことは新約聖書においても「愛の業、奉仕」として勧められていることです(ローマ12:13参照)。

 マルタにはマリアという姉妹がいました。おそらく妹であったろうと思います。マリアはイエス様の足元に座って、その話に聞き入っていました。その間マルタは「いろいろのもてなしのためせわしく立ち働いて」いました。ここで使われている言葉には「取り乱す、心があちこちに引き裂かれる」という意味があります。

 最初マルタは好意からもてなしの働きを始めたのだと思います。しかし、やるべきたくさんのことに追われ、妹のマリアは全然手伝ってくれない、という状況の中でマルタの心は乱れていき、苛立ちが募っていたのではないでしょうか。そしてついに堪忍袋の緒が切れます。彼女はイエス様とマリアが話しているところに近づき、側に立って言いました。「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください。」(40節)

 この言葉には当然、全然手伝ってくれないマリアへの不満が表れています。しかしそれと同時にマルタはここでイエス様に「主よ、あなたはこのことを何ともお思いになりませんか。」と言って、ゲストであるイエス様にまで不満をぶつけているのです。そして「わたしの手伝いをするようマリアに言ってください。」とイエス様に要求をしています。その言葉には怒りや苛立ちが表れていたでしょう。こうなってしまっては、イエス様へのもてなしという点では失敗してしまった、と言わなければなりません。

 イエス様はそのようなマルタに対して言われました。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」(41-42節)

 マルタとしては「自分こそが必要なことをたくさんしている、マリアは何もしてくれない。」と思っていたはずです。しかしイエス様は「必要なことはただ一つだけである。」と言われ、「マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」と言われたのです。これはマルタからすれば予想外の驚くべき言葉だったと思います。

 ではマリアが選んだ「良い方」とは何でしょうか。それはイエス様の足元に座って、主が語られる御言葉に聞く、ということです。イエス様はそれこそが「ただ一つ必要なこと」であり、それをマリアから取り上げてはならない、とおっしゃったわけです。

 私たちは、これではマルタにはあまりにもかわいそうではないか、マルタのもてなしの働きも必要なものではないか、と思うかもしれません。しかし注意しなければならないことは、ここでイエス様は決してマルタの働き、奉仕そのものを必要ないものとして否定しておられるのではない、ということです。むしろルカによる福音書の他の箇所を見ると、このような「もてなし」や「奉仕」は、必要な、大切な働きとして語られています(ルカ8:3、10:7-8、11:37参照)。

 イエス様がここで問題としておられるのは、マルタが「多くのことに思い悩み、心を乱している」ことでした。このマルタに対してイエス様は「必要なことはただ一つである、それは主の御前に静まり、御言葉に聞くことである」と教えてくださったのです。そのようにして御言葉を心に蓄えることによってはじめて、本当の意味で愛の業や奉仕という良き実を結んでいくことができるのです。

 私たちも日々たくさんのやることに追われ、思い煩い、心を乱してしまうことがあるかもしれません。そのような時にこそ、イエス様が教えてくださった「ただ一つ必要なこと」、主の御前に静まって御言葉に聞く、ということに立ち返りたいと思います。



※ホームページでは音楽著作権の関係上、一部をカットして放送しています。
Copyright (C) 2019 RCJ Media Ministry All Rights Reserved.