あさのことば 2020年6月 1日(月)放送    あさのことば宛のメールはこちらのフォームから送信ください

野島邦夫(日本キリスト改革派教会牧師)

野島邦夫(日本キリスト改革派教会牧師)

メッセージ: 聖書の中の「はだか」2アダムとエバ



 いかがお過ごしでしょうか。野島邦夫です。
 聖書の中には、人の裸について印象的な場面があります。今回のシリーズでは、そのような幾つかの箇所を考えます。

 人間はふつう衣服をまとって生活します。なぜでしょうか。寒さ対策、弱く繊細な皮膚を守るため、ということもあるでしょうが、もっと深い意味があります。
 人間は神に創造された時、裸でした。その時「アダムとエバは2人とも裸であったが恥ずかしがりはしなかった。」(創世記2:25)その後2人は神の戒めを破って、神との心のきずなを断ち切ります。その時「2人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、いちじくの葉をつづり合わせて、腰を覆った。」(創世記3:7)

 裸のからだを覆うこのものは、単なる衣服ではありません。むしろ、心の覆いです。神に対して自分の心を隠すものの象徴です。また、他の人に対して自分の心を隠すものの象徴です。二人はこの覆いによって、互いに対しても、ありのままの自分を隠したのですから。残るのは、神に対しても他人に対しても心の厚い壁を作って、ただ自分に閉じこもる孤独な個々の人間です。この状態を聖書は罪と呼びます。

 私たちも、心を開くことができる相手が欲しいと願いながら、できないでいる、見つからないでいるのではないでしょうか。これがアダムとエバのいちじくの葉の意味です。

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