聖書を開こう 2020年8月6日(木)放送

山下 正雄(ラジオ牧師)

山下 正雄(ラジオ牧師)

メッセージ:  キリストの愛を知るように(エフェソ3:14-21)



 ご機嫌いかがですか。日本キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、日本キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。

 パウロが書いた手紙の中で、最初の人アダムとキリストとが対比される箇所があります。例えば、ローマの信徒への手紙5章12節以下で、人類の祖であるアダムを通して罪と死が入ってきたのに対して、恵みの賜物はキリストを通して多くの人に注がれたと記しています。

 また、コリントの信徒への手紙一の15章45節以下では、最初の人アダムに対して、キリストは「最後のアダム」と呼ばれ、命を与える霊となったと述べられています。

 この「最後のアダム」は、最初のアダムとは違って、罪と堕落によって失われた義を最初から持っておられるお方です。そういう意味でこの新しい人アダムであるキリストにつながり(ヨハネ15:5)、キリストが内に形作られ(ガラテヤ4:19)、キリストが心のうちに住まい(エフェソ3:17)、このお方に似た者になることこそ(ローマ8:29、1ヨハネ3:2)、救いの完成にとって大切です。

 きょう取り上げとようとしている個所にも、その願いが祈りとしてささげられています。

 それでは早速きょうの聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書 エフェソの信徒への手紙 3章14節〜21節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。

 こういうわけで、わたしは御父の前にひざまずいて祈ります。御父から、天と地にあるすべての家族がその名を与えられています。どうか、御父が、その豊かな栄光に従い、その霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強めて、信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように。また、あなたがたがすべての聖なる者たちと共に、キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解し、人の知識をはるかに超えるこの愛を知るようになり、そしてついには、神の満ちあふれる豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされるように。わたしたちの内に働く御力によって、わたしたちが求めたり、思ったりすることすべてを、はるかに超えてかなえることのおできになる方に、教会により、また、キリスト・イエスによって、栄光が世々限りなくありますように、アーメン。

 エフェソの信徒への手紙は、4章から新しいテーマに入ります。今まで書かれてきたことが、主として救いの秘められた計画について、パウロがどのように理解しているかを記してきました。4章からは、この救いに与る信仰者たちの具体的な生き方についての勧めが記されています。

 そこで、パウロは、具体的な信仰生活の勧めに移るにあたって、祈りの言葉をささげているのがきょう取り上げた個所です。手紙の前半の締めくくりであると同時に、後半で取りあげる重要なテーマがすでに祈りの言葉に織り込まれています。

 それでは、少しずつ分けて読み進めていくことにします。まず、この祈りが誰にささげられているのか、という点から見ていきたいと思います。

 パウロは、父である神の御前にひざまずいて祈っていますが、この父である神について、さらにこう述べています。

 「御父から、天と地にあるすべての家族がその名を与えられています。」

 父から家族が生じるというのは、この手紙の読者たちにとっては特に説明の必要がない事柄です。パウロは神をそのようなお方と信じています。ただ、ここで目を留めたいのは、「天と地にあるすべての家族」という表現です。パウロが「地上にある家族」というときに、単に血のつながりや民族のつながりを念頭に置いていたのではない、ということは明らかです。救いの秘められた計画が実現するに及んで、ユダヤ人と異邦人の区別が撤廃され、キリストにあって一つとされたからです。そういう救いの家族がここでは念頭に置かれています。

 パウロはそればかりか、「天の家族」についても思いを巡らせています。「天上の家族」が具体的に何を指すのかは明らかではありませんが、天と地を包括する救いの共同体全体を存在させる、そういう神の御前にパウロはひざまずいて祈っています。

 このお方を前にして、パウロは何を祈ったのでしょうか。大きく分けて、四つの事柄を願い求めています。

 第一の内容は、16節と17節に記されています。ここでは、内なる人が強められますようにということと、心のうちにキリストを住まわせてくださいますように、という二つの事柄が祈られているように見えます。しかし、この二つの事柄はパウロにとって表裏一体をなすことがらです。

 普通、「内なる人」という表現は、「人間の内面」や「人間の精神面」を指すときに使います。しかし、ここでは、単に精神や心が強くなりますようにという祈りではなさそうです。

 「内なる人が強められますように」という祈りは、正確に翻訳すると、「内なる人に向かって強められますように」という言い方です。「内なる人」とは誰か、という説明が、17節で心のうちに住んでくださるキリストであることがわかります。

 パウロの祈りは、キリストが心のうちに住んでくださり、この、内に住んでくださるキリストに向かって、強められて行くことです。それは、愛に根差し、愛にしっかりと立つことによって実現していきます。

 ですから、第二の祈りの内容は、キリストの愛を理解し、知ることが祈られています。

 18節には、キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解することができるようにと祈られています。実は、18節の原文には「キリストの愛」という言葉がありません。逆に19節には「その愛」と訳されていますが、原文では、「キリストの愛」と記されています。つまり、パウロは18節で「広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解するように」と書き始めて、何の「広さ」や「長さ」なのかを明確にするために、19節でそれを言い換えて「人の知識をはるかに超えるキリストの愛を知るように」と祈っています。人知をはるかに超えるキリストの愛ですが、その愛の広さ、長さ、高さ、深さを理解すればするほど、心のうちに住んでくださるキリストがこのわたしをご自分のものとしてくださっているのだということを深く自覚できるようになります。そうして、ますます内なる人であるキリストに向かって強められていくのです。

 第三の願いは、これらの祈りが実現することによって、「神の満ちあふれる豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされるように」なるということです。4章以下で展開される信仰者の生活についての勧めは、単なる正しい生活の秘訣ではありません。そのことを通して、キリストの愛を深く理解し、神の満ちあふれる豊かさにあずかり、満たされるようになることがその狙いです。

 最後にパウロは「わたしたちが求めたり、思ったりすることすべてを、はるかに超えてかなえることのおできになる方に」栄光を帰して祈りを結びます。この祈りの実現には、わたしたちの努力も大切かもしれません。しかし、それ以上に大切なことは、すべてをはるかに超えて実現してくださる神の力に信頼し、この神と共に歩み続けることです。

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