キリストへの時間 2021年9月5日(日)放送

山下正雄(ラジオ牧師)

山下正雄(ラジオ牧師)

メッセージ: 天にましますわれらの父よ

【高知放送】
     

【南海放送】
     

 おはようございます。ラジオ牧師の山下正雄です。
 キリスト教会には「主の祈り」と呼ばれる祈りがあります。たいていの教会では、日曜日の礼拝の中で、皆で心を合わせて「主の祈り」を祈ります。「主の祈り」という名前は、主イエス・キリストご自身が弟子たちに直接教えられたことからそう呼ばれます。その詳しい次第は、マタイによる福音書の6章とルカによる福音書の11章にそれぞれ記されています。

 その当時のユダヤ人たちにとって、祈りは生活の一部でした。決まった時間に祈る習慣がありましたから、祈りの言葉を知らないユダヤ人は一人もいなかったことでしょう。しかしそのユダヤ人であった弟子たちが、イエス・キリストが祈り終えられた時「主よ…わたしたちにも祈りを教えてください。」(ルカ11:1)と求めました。そうして教えられたのが「主の祈り」の言葉です。ですから主の祈りは、弟子たちにとって特別な祈りの言葉であったことは容易に想像がつきます。

 その主の祈りの言葉は「天にまします、われらの父よ」という言葉で始まります。マタイによる福音書に記されている、主の祈りの言葉は「われらの父よ」とみんなで祈ることを意識した言葉づかいで始まりますが、ルカによる福音書はただ単に「父よ。」と短い呼びかけで始まります。大切なのは、大胆にも神を「父」と呼びかけている点です。

 もちろん、父親にもいろいろなイメージがあります。頑固な父親もいれば、権威主義的な父親もいます。家庭によってはお父さんの存在よりもお母さんの存在の方が、子供たちにとっては大きいということもあるでしょう。問題はイエス・キリストにとって、どういうイメージで神は私たちの父、なのでしょう。

 ルカによる福音書によれば、「主の祈り」を教えられた直後にイエス・キリストはこう問いかけています。「あなたがたの中に、魚を欲しがる子供に、魚の代わりに蛇を与える父親がいるだろうか。また、卵を欲しがるのに、さそりを与える父親がいるだろうか。」(ルカ11:11-12)人間の父親でさえ子供には良いものを与えるのであるとすれば、天の父はなおさらよいものをくださる。聖霊さえもくださるお方であるとおっしゃっています。

 イエス・キリストにとって天の父は、わたしたちの必要をご存じのお方です。わたしたちは自分の本当の必要すらわかっているようでわかっていないときがあります。しかし天の父はそうではありません。わたしたちの必要を最もよくご存じで、また、その必要を満たすことができるお方です。「小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。」(ルカ12:32)とさえおっしゃっています。

 またイエス・キリストにとって天の父は憐れみ深いお方です。「(天の)父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる」そういうお方です(マタイ5:45)。そのような父として、神を呼びかけるようにとイエス・キリストは「主の祈り」で私たちを招いています。主イエスが教えてくださった祈りの中で、神は決してはるか遠くにおられるお方ではありません。わたしのことを誰よりもご存じで、わたしがどんな状態であっても関わりを持ってくださるお方です。

 主イエス・キリストご自身、祈りの中で神を「アッバ、父よ」と呼びかけていらっしゃいます。「アッバ」とは子供が父親を親愛を込めて呼びかける言葉です。神の子であるイエス・キリストだからこそ、神を「お父ちゃん」と大胆に呼びかけることができるのかもしれません。しかし、イエス・キリストを通して神の子供とならせていただいている私たちにも、神をそう呼びかける恵みと特権をお与えくださっているのです。



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