キリストへの時間 2022年4月24日(日)放送  キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

山下正雄(ラジオ牧師)

山下正雄(ラジオ牧師)

メッセージ: 日用の糧をきょうも与えたまえ

【高知放送】
     

【南海放送】
     

 おはようございます。ラジオ牧師の山下正雄です。
 教会の礼拝の中で、心を合わせて祈る祈りに、「主の祈り」があります。全部で六つの願いから成り立っていますが、その四番目の願いは「日用の糧をきょうも与えたまえ」という祈りです。

 数年前、ネットでたまたま見つけたブログを読んで、考えさせられたことがありました。それは、フィリピン人の配偶者をもつ、日本人男性の書いた「妻はスラム出身!」というタイトルのブログです。二人のなれそめは、男性が、マニラの中心から離れた公園で休んでいた時のことでした。その男性は、海外にいくときには、できるだけ現地人と同じ格好をするそうです。無駄に小奇麗な格好をしていると、狙われるリスクが増えるからです。

 すると、貧しく見えたその青年を心配して、声をかけてきた女性がいたそうです。カバン代わりに使っていたビニール袋から、会社のボスにもらったという、冷え切った、おまけにちょっと臭うハンバーガーを出してきて、半分分けてくれた、というのです。それは、母親に持ち帰って食べさせてあげようとしていた大切なハンバーガーでした。そのやさしさに、なんていい子なんだろう、と思ったのがなれそめでした。

 二人が結婚して生活を共にすると、信仰や文化の違いから、戸惑うことも多かったそうです。とにかく貯金をしない。江戸っ子以上に宵越しのお金を持たない。計画的にお金を使えない。日本人には理解できないくらいの金銭感覚です。

 また、クリスチャンである彼女は、熱心に教会に通い、熱心に祈り、事あるごとに「神様のおかげ」を連発します。この男性は、自分の手柄を神様に横取りされたような気持ちになって、もっと自分に頼ってほしい、という思いから、ちょっと意地悪な質問をしました。「きょうは食費を渡さない。神様は食べ物をあたえてくれるのかい?」。これには彼女も無言のままでした。もちろん、それは信仰を否定したり、宗教をからかったりしているのでないことは、ブログを記した本人も書いているとおりです。

 わたしの勝手な想像かもしれませんが、貧しくても食べ物を分け与える優しさも、お金の使い方の違いも、何にでも神様の恵みを感じて感謝するのも、半分は、フィリピン人特有の感性からきているとしても、半分は、信仰心から来ているように思いました。

 さて、主の祈りの中で「日用の糧をきょうも与えたまえ」と祈るとき、遊んで暮らしていても、神様が何とかしてくださる、と思って、祈っているわけではありません。働く機会も健康も含めて、必要なものを備えてくださる神に、「日用の糧をきょうも与えたまえ」と祈る祈りです。

 またこの祈りは、働くことができなくて、食べるにも困っている人に対して、神以外のものに頼ることを禁じるための祈りではありません。むしろ、福祉や身近な人を通して与えられる助けの中にも、神からの恵みがあることを期待する祈りです。すべてのことは、究極的に神から与えられると信頼しているからこそ、祈ることができる祈りです。

 そして、神が、必要なものをすべてを与えてくださるお方である、と信じて祈るからこそ、自分で獲得したなどとは思わずに、与えられたことに感謝し、それを他の人にも分け与える、優しい心が与えられる祈りなのです。



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