ごきげんいかがですか。東川口教会の櫻井良一です。
ある高名な心理学者は、「私たちが他人の話を受け入れたり、聞き入れることができない理由は、その話を聞いたら自分の人生が変わってしまうかも知れない…と言う恐れを抱いているからだ」と説明しています。
イエスの時代に生きたファリサイ派と呼ばれる人々は、「自分が汚れる」と言うことを非常に恐れて生きていました。だから彼らは、外出先から家に帰ると必ず手を洗い、体を清めることをしないではおれなかったのです。知らない間に誰かの汚れが自分にうつってしまって、自分も汚れてしまったかも知れない、と恐れたからです。
イエスは、「人を汚すものは、人の外側ではなく、私たちの心の中から悪い思いが出て来て汚すのだと」と教えてくださいました。外側から入る汚れならば、手を洗うことで解決するかも知れません。しかし、私たちの心から出て来る汚れは、どうしたらよいのでしょうか。この汚れは、自分の力で解決することはできません。ただイエスだけが、私たちを聖くしてくださることができるのです。
なぜなら、イエスは十字架にかかり、私たちの罪を解決することで、私たちを聖めてくださったからです。そしてイエスが与えてくださる聖さは、私たちがどんな人間関係や状況に置かれても、私たちから決して奪われることのない、確かなものだと言えるのです。
聖書の言葉「人から出て来るものこそ、人を汚す。中から、つまり人間の心から、悪い思いが出て来るからである。」マルコによる福音書7章20節から21節です。