月刊誌リジョイス 聖書日課 2009年1月3日(土)

イザヤ43章 人は、神の栄光のために造られた

イスラエルよ、
あなたを造られた主は今、こう言われる。恐れるな、わたしはあなたを贖う。
あなたはわたしのもの。
彼らは皆、わたしの名によって呼ばれる者。わたしの栄光のために創造し、形づくり、完成した者。(イザヤ43:1,7)

 人はときに、「わたしがこの世に存在する意味は、どこにあるのだろうか?」と問うことがあります。これは、若い人だけの問いではありません。頻発する災害や事故、憤りを覚える政治や経済のなかで、仕事や健康にも不安がつのり、この問いが誰の心にも膨らみます。ところで、聖書は、この問いの全く別の側面を示しています。

 創造された初めの人アダムは、サタンの誘惑に陥り、罪を犯し、堕落しました。それ以来、人はこの世における自分の存在の意味も価値も見失い、さまよい歩く者となったのです。世の害悪や住みづらさは、すべて人間の罪に起因します。ゆえに人は、「わたしには何の価値もない」と嘆きます。しかし、神は言われます。わたしは人を「わたしの栄光のために創造し、形づくり、完成した」と。「わたしの目にあなたは価高く、貴くわたしはあなたを愛し あなたの身代わりとして人を与え」る(4節)と。

 神の栄光、すばらしさがここにあります。神は人をイエス・キリストによって価値ある者、堂々と存在してよい者としてくださったのです。

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