月刊誌リジョイス 聖書日課 2009年1月8日(木)

マタイ1章(1) イエス・キリストの系図に連なる幸い

アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図。……
ダビデはウリヤの妻によってソロモンをもうけ、……(マタイ1:1-6)

 旧約聖書は、ダビデを救世主のイメージとして、メシア預言やメシア詩編をつづってきました。

 ところが、「ウリヤの妻」への言及は、ダビデ王の栄光を汚す出来事をあらわしています。ですから、この系図は、人間の栄光を誇るものではありません。人間は罪深く、律法を破ったにもかかわらず、神は恵み深く、約束どおり救い主を与えてくださったことをあらわしているのです。

 この系図に名を連ねる人は、幸いです。私たちを救い得る名は、イエス・キリストのほかにありません。ダビデ王も、イエス・キリストに連なることで、救いをいただいたキリスト者でした。

 旧約聖書物語は、罪を重ねて絶望的になっていく歴史です。私たちの人生も、同様です。そうであればあるほど、人間の栄光は砕かれ、神の恵みが輝いていきます。

 この系図のように、神の御前では、罪や汚れは、すべてあらわにされています。その恥ずかしさのなかで、神の救いにあずかります。信仰によってキリストに連なることで、この系図は、あなたの系図となるのです。

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