月刊誌リジョイス 聖書日課 2009年2月5日(木)

マタイ12章 安息日の主キリスト

「言っておくが、神殿よりも偉大なものがここにある。もし、『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』という言葉の意味を知っていれば、あなたたちは罪もない人たちをとがめなかったであろう。人の子は安息日の主なのである。」(マタイ12:6-8)

 ある安息日に、主イエスの一行が麦畑を通っているとき、空腹のため弟子たちが麦の穂を摘んで食べ始めました。私たちだったら、「人の畑に入って勝手に食べるなんて……」と思うところです。しかし、ファリサイ派の人びとは、「あなたの弟子たちは、安息日にしてはならないことをしている」と言って非難しました。

 主イエスは、「安息日に神殿にいる祭司は、安息日の掟を破っても罪にならない、と律法にある」(5節)と言われました。安息日の祭司の労働は罪にならないどころか、礼拝のために必要な奉仕です。

 すると、主イエスと弟子たちは神殿に仕える祭司なのでしょうか。そうです、いやそれ以上です。驚くべきことに、主イエスは、「神殿よりも偉大なものが、ここにある」と言われ、さらに驚くべきことに、神殿よりも偉大なもの「それはわたしだ」と言われるのです。

 「人の子イエス」こそ、まことの安息を実現する「安息日の主」です。自らを罪のためのいけにえとして献げ、尽きることのない憐れみと安息を実現された主をたたえましょう。

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