月刊誌リジョイス 聖書日課 2009年3月16日(月)

創世記21章 喜びに向かって

サラは言った。
「神はわたしに笑いをお与えになった。聞く者は皆、わたしと笑い(イサク)を共にしてくれるでしょう。」(創世記21:6)

 サラは、アブラハムと結婚し、苦楽を共にして歩んできました。しかし、不妊のサラは、孤独を知っています。特に、夫アブラハムが、自分の女奴隷ハガルとの間にイシュマエルという息子を得たので、サラは激しい葛藤と忍耐の日々を過ごしてきました。サラは、神が子を与えてくださるという約束を信じて待つしかありませんでした。

 21章は、主がサラを顧みられた、という言葉で始まります。「顧みる」という言葉には、「訪れる」という意味があります。そのサラに訪れの日が来ました。死んだも同然のサラの胎が開かれ、90才の女性に神から約束の子が授けられました。名は、イサク(笑う)です。喜びに満たされたサラは言います。「神はわたしに笑いをお与えになった」と。

 この出来事を聞く人たちは、誰でも笑い喜びます。神の約束を待ち望む人には、「涙と共に種を蒔く人は、喜びの歌と共に刈り入れる」(詩126編5節)という祝福が、訪れます。神の約束は確かです。今は悲しくても、喜びと笑いがあなたを待っています。

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