月刊誌リジョイス 聖書日課 2009年4月28日(火)

エゼキエル10章 主の栄光が神殿を去る

主の栄光は神殿の敷居の上から出て、ケルビムの上にとどまった。
ケルビムは翼を広げ、傍らの車輪と共に出て行くとき、わたしの目の前で地から上って行き、主の神殿の東の門の入り口で止まった。イスラエルの神の栄光は高くその上にあった。(エゼキエル10:18-19)

 「主の栄光」は、神の臨在のしるしです。罪に汚れたエルサレムの住民が滅ぼされた後、「主の栄光」は至聖所から神殿の敷居(出口)へと移動し、そこからさらにケルビムに乗って「東の門」の入り口へと移ります。この門は神殿の正面であるゆえ、最も重要な門でした。「主の栄光」はこの門からさらにエルサレムの東の山に移り、捕囚の地に行くことが暗示されています(11章23-24節参照)。

 このようにして、主の栄光はエルサレム神殿を去ります。その理由は、正にエルサレム住民の忌まわしい罪のためでした。主が神殿から去ってしまわれたとは、エルサレムにとって究極的な裁きを意味しています。都の住民がこれほど失望したことは、なかったことでしょう。しかし、主の栄光が消えることなく、なお捕囚の地に移動することに、一条の希望の光が輝いています。

 罪を重ね、裁きを受け、主の栄光が自分の人生から去ったと思われることがあります。しかし、主共にいます喜びは、贖い主イエス・キリストの福音によって、私たちの内に満ちあふれています。

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