月刊誌リジョイス 聖書日課 2009年5月16日(土)

ヤコブ2章 行いの伴う信仰を目指して

もし、兄弟あるいは姉妹が、着る物もなく、その日の食べ物にも事欠いているとき、あなたがたのだれかが、彼らに、「安心して行きなさい。温まりなさい。満腹するまで食べなさい」と言うだけで、体に必要なものを何一つ与えないなら、何の役に立つでしょう。信仰もこれと同じです。行いが伴わないなら、信仰はそれだけでは死んだものです。(ヤコブ2:15-17)

 ヤコブの手紙を受け取った教会は、衣食に事欠く信仰の仲間を受け入れていたようです。そのような兄弟姉妹に何も物質的助けを与えず、「安心して行きなさい」と言うだけで教会から去らせるなら、信仰は死んでいる、とヤコブは叱責しています。

 友の苦しみを目の当たりにしながら、行いを伴わない信仰とは何でしょうか。真に生きた信仰には、神への応答・献身のしるしとして、必ず具体的な愛の行為が伴います。信仰が、知的理解で終わらず、愛となってあらわれることを願います。

 主イエスは、震えながら進み出た12年間も出血の止まらなかった女性に、「安心して行きなさい」と声をかけておられます(マコ5章34節)。主は、御言葉をもって彼女に安心を与えました。しかも同時に、主が自己犠牲の愛で彼女を癒してくださったことを忘れてはなりません。

 教会が語る「安心して行きなさい」という言葉は、真実な祈りと愛の業とを伴って初めて語られるものです。安心を与える教会となるために、主の愛に感謝し、愛に生きる教会となることを祈り求めましょう。

コントローラ

Copyright (C) 2009 RCJ Media Ministry All Rights Reserved.