月刊誌リジョイス 聖書日課 2009年5月18日(月)

エゼキエル18章 新しい心と新しい霊

お前たちが犯したあらゆる背きを投げ捨てて、新しい心と新しい霊を造り出せ。イスラエルの家よ、どうして お前たちは死んでよいだろうか。わたしはだれの死をも喜ばない。お前たちは立ち帰って、生きよ。(エゼキエル18:31-32)

 全ての人は、善であれ悪であれ自分のしたことに責任がある、と聖書は言います。人はみな、最終的に神の御前で申し開きをしなければなりません。全ての人は、罪を犯しているのです。それでは、誰一人として救われる者はいないのでしょうか。

 罪を指摘される神は、同時に、人がその罪から離れ、神の民として生きることを繰り返しお命じになります。私たちに残された道は、ただ一つ、悔い改めて、神に立ち帰ることです。

 ルカ福音書15章の放蕩息子は、豚をもうらやむどん底の人生から、悔い改めて、父(なる神)のもとにもう一度立ち帰りました。彼を待っていたのは、思いもかけない父の愛と赦し、父のもとにある幸いでした。

 エゼキエル書は、放蕩息子の父親の気持ちを代弁しているかの如くです。神は、罪人が自らの罪のゆえに死ぬのではなく、神に立ち帰り「生きる」ことを切望しておられます。そのために、神が「新しい心と新しい霊」を造り出し、私たちにお与えくださいます。神の救いの熱意により、人は生きるものとなります。

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