月刊誌リジョイス 聖書日課 2009年5月30日(土)

ガラテヤ3章 十字架のキリストを太い線で描く

ああ、物分かりの悪いガラテヤの人たち、だれがあなたがたを惑わしたのか。目の前に、イエス・キリストが十字架につけられた姿ではっきり示されたではないか。(ガラテヤ3:1)

 「いのちのパン」には、かわいいイラストが挿入され、言葉のイメージを鮮明にしてくれます。聖書には、イラストがありません。しかし、パウロは、説教の言葉によって、目の前に、キリストを、しかも十字架につけられたままの姿をはっきり描き出しました。パウロの言葉は、ルオーのキリスト像のような線の強さをもっています。

 説教者たちは、礼拝説教によって、会衆の面前にくっきりとイメージを描き出すために、奮闘しています。その至上の主題こそ、十字架のキリストです。何故、十字架なのでしょうか。神の呪いを、御子イエス・キリストが身代わりに受けてくださったので、それを信じるだけで、私たちは義とされ、神の子の霊を受けることができるからです。救いは、自分の外側から、神から、キリストから来るからです。

 いつ果てるとも知れない大小のさまざまな悩みや課題が、日々、心に書き込まれていきます。しかし、それは小文字の添え書きです。心の中心には、いつも、御言葉により太く強く十字架が記されているのです。

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