パウロの言葉は、新しい総督フェストゥスにほとんど理解されませんでした。しかし、はっきりと理解されたことが一つあります。それは、「イエスが生きている」というパウロの主張です。愚かなことを言っていると思われたとしても、総督に、「これらのことの調査の方法が分からなかった」とまで言わせています(20節)。これは、パウロの主張が事実に関わる証言として受けとめられたことを示しています。「告発者たちは立ち上がりましたが、彼について、わたしが予想していたような罪状は何一つ指摘できませんでした。パウロと言い争っている問題は、彼ら自身の宗教に関することと、死んでしまったイエスとかいう者のことです。このイエスが生きていると、パウロは主張しているのです。」(使徒25:18-19)