月刊誌リジョイス 聖書日課 2009年8月28日(金)

使徒25章 主は生きておられる

「告発者たちは立ち上がりましたが、彼について、わたしが予想していたような罪状は何一つ指摘できませんでした。パウロと言い争っている問題は、彼ら自身の宗教に関することと、死んでしまったイエスとかいう者のことです。このイエスが生きていると、パウロは主張しているのです。」(使徒25:18-19)

 パウロの言葉は、新しい総督フェストゥスにほとんど理解されませんでした。しかし、はっきりと理解されたことが一つあります。それは、「イエスが生きている」というパウロの主張です。愚かなことを言っていると思われたとしても、総督に、「これらのことの調査の方法が分からなかった」とまで言わせています(20節)。これは、パウロの主張が事実に関わる証言として受けとめられたことを示しています。

 これが、キリスト者の証しです。死んでしまった主イエスに望みを置いているのではありません。私たちの罪のために死んで復活し、生きておられる主イエスに望みを置いているのです。主イエスが生きておられないなら、パウロはそこにいません。「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです」(ガラ2章20節)。

 私たちも同様です。主イエスが生きておられないなら、私たちは今ここにいません。キリスト者の名にふさわしく、大胆に主の復活を証しできるよう祈りましょう。

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