月刊誌リジョイス 聖書日課 2009年10月10日(土)

マルコ7章 エッファタ

イエスはこの人だけを群衆の中から連れ出し、指をその両耳に差し入れ、それから唾をつけてその舌に触れられた。そして、天を仰いで深く息をつき、その人に向かって、「エッファタ」と言われた。これは、「開け」という意味である。すると、たちまち耳が開き、舌のもつれが解け、はっきり話すことができるようになった。(マルコ7:33-35)

 この出来事はガリラヤ湖の東岸の異邦人の地で起きました(31節)。異邦人の耳が開かれ、話すことができるようになったのです。

 主イエスは「エッファタ」(開け)と言われて、彼の耳と口を開かれました(34節)。聖書で「開く」は、実際の目などが開かれること以上に、心が開かれて主イエスや神が分かるようになる、という意味で用いられます(ルカ24章31、45節、使16章14節)。そして、耳と口はコミュニケーションの道具です。この癒やしが意味していることは、異邦人も主イエスによって心が開かれて、主イエスが分かるようになり、主イエスとコミュニケーションがとれるようになる、ということです。

 古代の教会の中には、洗礼式のときに「エッファタ」と言いながら洗礼を授けた教会があったそうです。私たちが主イエスの御言葉を聞くことができ、主イエスに語りかけることができる、それは主イエスが「エッファタ」と言ってくださるからなのです。開かれた耳で御言葉を聞き、開かれた口で祈り、賛美しましょう。これらすべてが、主の恵みです。

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