月刊誌リジョイス 聖書日課 2009年10月15日(木)

マルコ8章 信仰の目を開く

イエスは盲人の手を取って、村の外に連れ出し、その目に唾をつけ、両手をその人の上に置いて、「何か見えるか」とお尋ねになった。すると、盲人は見えるようになって、言った。「人が見えます。木のようですが、歩いているのが分かります。」そこで、イエスがもう一度両手をその目に当てられると、よく見えてきていやされ、何でもはっきり見えるようになった。(マルコ8:23-25)

 「まだ悟らないのか」(21節)と言われた弟子たちを代表して、ペトロは「あなたは、メシアです」(29節)と立派に告白しています。主イエスのことを悟ったのです。ところが33節に行くと、ペトロは主イエスに叱られています。どうやらメシアと悟ったものの、それが受難と十字架と復活のメシアとまでは悟っていなかったようです。それで31節から後、主イエスは弟子たちにご自身の受難と復活を教えていくのです。

 21節と29節との間に、盲人のいやしの記事があります。彼は、少しずつ段階を踏んで、いやされていきます。これは、いやしの奇跡のなかでも珍しい記述で、おそらく、メシアについて悟らない状態から十分な悟りに至るまでに段階があることを指し示しているのでしょう。

 主の力あるお働きにより、人はメシアについて悟らない状態から次第に目を開かれ、最後には受難のメシアを悟るのです。私たちが教会に導かれて信仰を育てられ、今、十字架にかかり復活した主イエスこそメシアだと告白できているのは、この主の驚くべきお働きによるのです。

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