月刊誌リジョイス 聖書日課 2009年10月16日(金)

マルコ9章 信仰のないわたしでも

イエスは言われた。
「『できれば』と言うか。信じる者には何でもできる。」
その子の父親はすぐに叫んだ。
「信じます。信仰のないわたしをお助けください。」(マルコ9:23-24)

 ひとりの父親が、発作を起こす悪霊に取りつかれた息子のことで、主に癒やしを願います。「おできになるなら、わたしどもを憐れんでお助けください」(22節)。「おできになるなら」という言葉の中には、これまでも息子を救うために色んなものに頼ってきたけれども、何一つ聞き入れられなかった、だから今、主にお願いしても、無駄かもしれないという不信仰が含まれていました。

 主イエスは父親の心の中にある「できれば」という思いを取り除こうとなさいます。「『できれば』と言うか。信じる者には何でもできる。」父親はこの主の言葉を聞いたとき、改めて気付かされるのです。自分は、「『できれば』助けてください」としか言うことができない不信仰から、まだ抜け出すことができていないと。

 けれども、父親は「仕方がない、諦めるか」と言って、主の前から立ち去ろうとはしませんでした。信じることのできない自分をまるごと主に投げ出すようにして叫ぶのです。「信じます。信仰のないわたしをお助けください。」ここに真実の信仰が生まれたのです。

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