月刊誌リジョイス 聖書日課 2009年10月31日(土)

マルコ15章 十字架の重さ

そこへ、アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人が、田舎から出て来て通りかかったので、兵士たちはイエスの十字架を無理に担がせた。(マルコ15:21)

 主イエスとの出会いは思いがけないかたちでやって来ます。キレネ人シモンもそのひとりでした。主が十字架を背負ってゴルゴダに向かう途中、たまたまそこに居合わせたシモンは、代わりに十字架を担いで歩くことになったのです。彼が背負った十字架は強いられたものでした。それゆえに、十字架の重さが理解できず、恥ずかしい思いを抱えながら歩いたに違いありません。

 しかし、不思議なことにこの十字架の重さが、彼の人生に決定的な意味を与えたのです。主が復活された後、彼はやがてキリスト者になったと言われています。さらに、ふたりの息子アレクサンドロとルフォスにもキリストの福音を伝え、神の家族が生まれたのです。

 主イエスは「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」(8章34節)と招いてくださいました。この招きに応えて、主と共に歩み始めるとき、私たちは生きる喜びを知ることができるのです。そこに十字架と復活の主の恵みが満ち溢れるからです。

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