月刊誌リジョイス 聖書日課 2009年11月8日(日)

詩編36編 命の泉は主にある

彼の口が語ることは悪事、欺き。
決して目覚めようとも、
善を行おうともしない。
床の上でも悪事を謀り
常にその身を不正な道に置き
悪を退けようとしない。(詩編36:4-5)

 虐待やイジメを経験した人の心は、その手痛い経験から何年たっても、傷ついたままであることが少なからずあります。人から悪意ある言葉を投げつけられると、私たちは深く傷ついてしまい、たやすくその傷を癒やすことができません。悪意の言葉を投げつけた人自身は、軽い気持ちであったかもしれませんが、投げつけられたほうは、その人に対するさまざまな感情に悩まされ続けます。

 詩編作者は、そのような苦しみの中にあるときに、人びとの心に潜む罪の深刻さに思いを向けています。他方、人と神を軽んじても、罪に気付かぬ人がいます。しかし、罪に苦しむ作者には神の恵みが示されます。

 主の慈しみは、天に満ちるほどに広大であるばかりでなく、御翼の陰に私たちを招き寄せてくださるほどに近しいものです。渇ききってささくれ立った心をも、主は命の泉で潤してくださいます。暗闇の中に閉じこもっていた私たちを照らし出してくれる光は、主ご自身です。主は私たちに対する愛を決して変えられることはありません。今日も、主イエスと共に歩めますように。

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