月刊誌リジョイス 聖書日課 2009年11月18日(水)

ホセア6章 愛に立ち返り愛に生きる

わたしが喜ぶのは
愛であっていけにえではなく
神を知ることであって
焼き尽くす献げ物ではない。(ホセア6:6)

 神は、ご自分の民が罪を悔い改めて神に立ち返ることを求めておられます。イスラエルの民は、神が慈しみ深いお方であり、悔い改める民を癒やし、包み、生かし、立ち上がらせてくださることを告白します。

 しかし、神は悔い改めて立ち返った民に困惑しておられます(4節「お前をどうしたらよいのか」)。なぜなら、この民は悔い改めを口にしつつ、その愛はまるで朝の霧や露のようにはかない偽りの愛でしかないからです。6章初めの「悔い改め」は、美しい言葉で飾られていますが、そこには神への誠実な愛が欠けています。 ホセアは、その悲しみの人生を通して、愛の確かさ強さを求めた人です。しかし、彼自身の愛が、霧のようにはかなく脆いことをも痛感していたのではないでしょうか。そして真実で確かな愛、強い愛は、神の愛だけであることを深く信じたのです。

 神は愛です。罪を悔い改めて神に立ち返る私たちは、同時に神の愛にも立ち返っているはずです。神に喜んでいただける誠実な愛、そして偽りのない神知識に生きるよう、神は私たちを招いておられます。

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