月刊誌リジョイス 聖書日課 2010年2月28日(日)

詩編50編 生きておられる神

「わたしの民よ、聞け、わたしは語る。
イスラエルよ、わたしはお前を告発する。
わたしは神、わたしはお前の神。」(詩編50:7)

 この詩編が語られた当時は、形式だけの動物犠牲がはびこっていました。また、十戒への違反(盗み・姦淫・偽証)により、家庭が崩壊し、共同体の秩序全体が混乱に陥っていたようです。問題の根となっているのは、私たちの内にもある「神の義を侮る心」です。

 それらの罪に対して、神は「わたしが黙していると思うのか。わたしをお前に似たものと見なすのか」(21節)と、怒られます。神は黙してはおられません。神は罪を告発されます。神の怒りの告発は、神が生きておられることの証しでした。
 また、詩編は、「告白をいけにえとしてささげる人…道を正す人に、わたしは神の救いを示そう」(23節)と、悔い改める者への祝福をも語っています。神は、赦しを与えるお方としても、生きておられます。

 罪の告発と赦しにおいて、神は生きておられます。驚きと畏れをもって、御前に身をかがめましょう。ここにこそ、真の慰めがあります。苦しみと孤独の闇の中で叫んだヨブが、ただ全能の神の臨在を示されることで、安息を取り戻したように。

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