月刊誌リジョイス 聖書日課 2010年3月28日(日)

フィリピ2章 人となられた神

キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。(フィリピ2:6-7)

 今日の主の日から受難週にはいります。福音書の受難物語は、人間の醜いエゴイズムによって痛めつけられ、抹殺されていく主イエスの姿を鮮やかに描いています。裏切られ、傷つけられ、見捨てられ、神からの光もとどかない闇の中で、主イエスは地上の生涯を終えられます。

 この週、私たちは、もう一度主イエスの通られた闇の深さをはっきりと見つめましょう。私たちの救いのために、主イエスが苦悩の極みを通らなければならなかったという事実を認識したいと思います。それは、私たちの救いのために、罪のないお方の苦しみの生涯があった、ということです。私たちを永遠の滅びから救うために、神ご自身が人となられ、神からも見捨てられる十字架の死を受け入れられたのです。

 このために、主イエスは「神の身分でありながら、…僕の身分になり、人間と同じ者になられました。」人間と同じ者になられたへりくだりの主は、「十字架の死に至るまで従順でした」(8節)。この主の歩みは、私たちを救おうとされた、計り知れない神の愛を表しています。

コントローラ

Copyright (C) 2010 RCJ Media Ministry All Rights Reserved.