月刊誌リジョイス 聖書日課 2010年4月1日(木)

ヨハネ12章 一粒の麦

「はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」(ヨハネ12:24)

 主イエスは、十字架の死を前にされ、ご自身を地に落ちた一粒の麦にたとえられました。地に落ちるとは、一粒の麦がそのままであろうとし続けることを、放棄することです。自分の存在を地に隠し、一度完全に自分を否定することです。

 主は十字架を目前にひかえ、深く苦悩されます。しかし、その苦悩を乗り越えて、父なる神の御心に一歩踏み込んで行かれます。神であるにもかかわらず、十字架の死という完全な自己否定の道を歩まれたことによって、罪のあがないと、私たちに対する無限の愛を示してくださいました。実に、主が十字架の苦しみの中から「多くの実」として望み見ておられたのは、この私たちです。十字架における一粒の麦の死が、私たち多くの救いとなって実っています。

 そして、主によって救われた私たちは、自分の信仰の生涯を、一粒の麦と見なすことができます。小さな愛の業や言葉や祈りが、私たちの思いを超えて多くの実を結ぶものとなり得ます。思い通りにならないなかにあっても、そこで主に用いていただける恵みを思い、主の業に励みましょう。

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