月刊誌リジョイス 聖書日課 2010年4月21日(水)

サムエル上2章 御救いを喜び祝う

「主にあってわたしの心は喜び主にあってわたしは角を高く上げる。わたしは敵に対して口を大きく開き御救いを喜び祝う。…驕り高ぶるな、高ぶって語るな。思い上がった言葉を口にしてはならない。主は何事も知っておられる神人の行いが正されずに済むであろうか。」(サムエル上2:1,3)

 ハンナは、「主の慈しみに生きる者の足を主は守」(9節)られることを知り、主の御救いを喜びたたえます。また、「人は力によって勝つのではない」(同)とまで、断言しています。ですから、力に頼り、驕り高ぶっても、御前にあっては無意味です。もし、思い上がった言葉を口にするなら、必ず主から正されます。

 一方で祭司エリの二人の息子は「主を知ろう」とせず、祭司の務めの中で「甚だ大きな罪」を続けます。父で祭司のエリは、事態を知り彼らを諭しますが、それでも神の人をして「なぜ、自分の息子をわたしよりも大事にして、自分たちの私腹を肥やすのか」と問われます。結局エリの家は裁かれ、主は「わたしの心、わたしの望みのままに事を行う忠実な祭司を立て」る、と宣言されます。

 驕り高ぶる祭司が排斥され、サムエルが立てられる歴史は、主イエスの誕生を暗示しています。また、ハンナの祈りは、主イエスの誕生の際、マリアに引き継がれます。母である女性の祈りは、軍馬や戦車にも勝る力をもっています。驕ることなく、御前にひれ伏し、祈りましょう。

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