月刊誌リジョイス 聖書日課 2010年5月1日(土)

ヨハネ9章 生まれつきの盲人を癒やす

彼は答えた。「あの方が罪人かどうか、わたしには分かりません。ただ一つ知っているのは、目の見えなかったわたしが、今は見えるということです。」(ヨハネ9:25)

 主イエスが、生まれつき目の見えない人を癒やしておられます。唾で土をこねてこの人の目に塗り、シロアムの池で洗うようにと命じます。お言葉に従うと、目は開き、見えるようになりました。「もう大人ですから」という両親の言葉から、年若い人かとも思われます(21節)。

 この日が安息日だったことから、ファリサイ派の人びとが咎めます。癒やされた人を問い詰め、主イエスの御業が正しい癒やしの業でないことを認めさせようとします。

 この人が生まれつき目が見えないのは、神の業がこの人に現れるためである、と主イエスは語ります。主の命じられるとおりシロアムの池で目を洗ったこの人は、見えるようになり、彼の以前の生活を知っている人びとを驚かせました。

 癒やされた人は、イエスが罪人かどうか、という論議に耳を貸しません。「ただ一つ知っているのは、目の見えなかったわたしが、今は見えるということです。」光を取り戻して生きる喜び、そこに働いた主の愛への感謝。私たちも「今は見える」という喜びと感謝によって歩みましょう。

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