月刊誌リジョイス 聖書日課 2010年6月20日(日)

箴言9章 「愚かさという女」

愚かさという女がいる。騒々しい女だ。
浅はかさともいう。何ひとつ知らない。
自分の家の門口に座り込んだり
町の高い所に席を構えたりして
道行く人に呼びかける
自分の道をまっすぐ急ぐ人々に。(箴言9:13-15)

 「愚かさという女」とは、「愚かな女」の話ではありません。「愚かさ」を擬人化し、浅はかさと同類の「騒々しい女」にたとえるものです。

 箴言8章では「知恵」が「城門の傍ら、町の入り口、城門の通路で呼ばわっている」と記されていました。9章では「愚かさ」も負けじとばかり「自分の家の門口に座り込んだり、町の高い所に席を構えたりして、道行く人に呼びかけ」ているのです。知恵の呼びかける声が、かき消されてしまいそうです。どちらの声に耳を傾けるかということが、問題です。

 見分け方ですが、「愚かさという女」の騒々しさに着目しましょう。「愚かさ」は、口数が多く、言葉巧みに、唆してきます。しかし、彼女は、浅はかで、「何ひとつ知らない」のです。にもかかわらず、語り続けます。そのような語り口は、当然、騒々しいのです。

 神を畏れて生きる者は、「愚かさという女」から押し寄せてくる騒々しい言葉に、耳を塞がねばなりません。信仰者は、静けさのなかから聞こえてくる、主を畏れる知恵の言葉のみに耳を傾けましょう。

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