月刊誌リジョイス 聖書日課 2010年11月19日(金)

ローマ10章 神の義こそ、救いの力

わたしは彼らが熱心に神に仕えていることを証ししますが、この熱心さは、正しい認識に基づくものではありません。なぜなら、神の義を知らず、自分の義を求めようとして、神の義に従わなかったからです。キリストは律法の目標であります、信じる者すべてに義をもたらすために。(ローマ10:2-4)

 パウロは、非常に情熱的な伝道者でした。かつては熱心なユダヤ教徒で、教会の迫害者、律法の義については落ち度のない者であった、と告白しています。情熱を傾けて一生懸命になると、それが人を攻撃することにもなるのです。

 「自分の義」とは、人間が作り出す義のことで、自分の行うことに反省が生じない正しさです。ユダヤ教徒の神を信じる熱心さは認めていますが、その在り方が問われています。自分中心の熱心であり、神のことを思いつつ、実は自分の考えにのみこだわっています。

 ルカ福音書18章に出てくる、自分の正しさばかりを述べて祈るファリサイ人は、落ち度のない宗教的生活をしています。一方の徴税人は、何とも惨めです。しかし、神の御前で自分の義を主張した者は受け入れられず、自らの不義を告白し、真実な悔い改めをなした者が、神の義を受けたのです。

 神に仕える熱心は、正しい認識に基づくものでなければなりません。それは、御言葉に謙虚に聞き従うことから得られるものです

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