月刊誌リジョイス 聖書日課 2010年1月8日(土)

マタイ3章 良い実を結ぶように

「『我々の父はアブラハムだ』などと思ってもみるな。言っておくが、神はこんな石からでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。」(マタイ3:9-10)

 荒れ野で「悔い改めよ。天の国は近づいた」と叫び、人びとに洗礼を授けていた洗礼者ヨハネの元に、ファリサイ派やサドカイ派の人たちも大勢やってきました。しかしヨハネは彼らに大変厳しい言葉を投げかけ、「悔い改めにふさわしい実を結べ」と命じました。彼らの悔い改めは真実ではなく、良い実を結んでいなかったからです。そして、そのような彼らの不真実の中心は、「我々の父はアブラハムだ」という誇りでした。

 信仰歴を誇って、自分はきちんと信仰生活を守っている、だから「差し迫った神の怒りを免れ」られる(7節)と思っているなら、ファリサイ派の人たちと同じです。良い実を結ぶことにつながる、真の悔い改めへと、いつも立ち戻らなければなりません。

 私たちは不完全ですが、そのような私たちの身代わりとなってくださった主イエスのゆえに、石ころに過ぎない者が神の子とされました。この喜びを胸に、良い実を結ぶ一日一日の歩みとなるように励みましょう。

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