荒れ野で「悔い改めよ。天の国は近づいた」と叫び、人びとに洗礼を授けていた洗礼者ヨハネの元に、ファリサイ派やサドカイ派の人たちも大勢やってきました。しかしヨハネは彼らに大変厳しい言葉を投げかけ、「悔い改めにふさわしい実を結べ」と命じました。彼らの悔い改めは真実ではなく、良い実を結んでいなかったからです。そして、そのような彼らの不真実の中心は、「我々の父はアブラハムだ」という誇りでした。「『我々の父はアブラハムだ』などと思ってもみるな。言っておくが、神はこんな石からでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。」(マタイ3:9-10)