月刊誌リジョイス 聖書日課 2011年3月30日(水)

イザヤ16章 時のあるうちに神に立ち帰れ

これは昔、主がモアブについて語られた言葉である。更に今、主は言われる。
「雇い人の年期のように三年たてば、多くの民を持つモアブの栄光は必ず終わり、わずかな者だけが残され、力はうせる。」(イザヤ16:13-14)

 モアブが主の救いを拒む理由は、彼らの拝む偶像が自分たちを守ってくれるという誤った確信から出ていました。そのモアブの態度は、カルメル山で預言者エリヤと戦ったバアルとアシェラの預言者たちの姿と重なります。彼らは自分たちの体を傷つけてまで偶像の助けを待ちましたが、何の答えも得ることはできませんでした。そのように、モアブの栄光は必ず終わり、多くの民は滅ぼされます。まさに「力はうせる」のです。だからこそ、偶像から離れ、主に立ち帰ることを、主は熱心に望んでおられます。

 昔、主がモアブについて語られた言葉は、今も決して変わることはありません。それは、時のあるうちに、神に立ち帰ることです。それは他人事ではありません。目に見える像ではなくても、もしも、目には見えない捨て切れない偶像があるならば、私たちも信仰的に悔い改めることが求められています。立ち帰りを熱心に求められる神の思いに応えていくところに、信仰者の特権があるのです。

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