月刊誌リジョイス 聖書日課 2011年5月21日(土)

マタイ25章 再臨の主を迎える準備

「愚かなおとめたちが買いに行っている間に、花婿が到着して、用意のできている五人は、花婿と一緒に婚宴の席に入り、戸が閉められた。」(マタイ25:10)

 花婿を迎える役割が与えられた十人のおとめたちは、それぞれ、ともし火を持って待っていました。しかし、花婿の到来が、思いの外、遅れました。

 油の用意をしていなかった五人の愚かなおとめたちは、賢いおとめたちに油を分けてもらえず、油を買いに行きましたが、結局、花婿を迎えることができませんでした。賢いおとめたちは、意地悪だから、自分の油を分けてやらなかったのではありません。救いは他人から分けてもらうというような仕方で与えられるものではない、ということがここで示唆されています。

 両者の賢さと愚かさとを分けたものは、油の用意の有無でした。これは、婚礼の宴を待つ、喜びの差ではないでしょうか。あるいは、花婿を迎え、祝宴へと案内するという役割を光栄と受け止め、是非ともそれを全うしたいという熱意の差でしょうか。

 再臨の主を待つとは、自分に与えられた尊い使命です。主の言葉を守り、喜びをもって、再臨の主を迎えましょう。

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